2009年12月18日金曜日

その日星がまたたいて

鳳東町・浅井千代子

一度もお目にかかった事もないのに
親し気にお母さんなんて……
お許しください

二〇〇九年三月四日
大阪地方裁判所二〇二号法廷に於いて
大阪空襲訴訟
第一回口頭弁論が開かれました
厳しい その法廷で
原告団代表として
あなたの娘さん
Aさんが
意見陳述されました

この日
午後からの公判を控え
原告・支える会のメンバーに依る
裁判所前のビラ配りがあり
早々に出かけました
風はまだ冷たく
雲間から射す薄陽が
小さなやわらかい春でした

往きの地下鉄の車中
並んで座っている膝の上に
Aさんからそっと差し出された
セピア色がかった写真
手に納まる程の小さな
「十二年前に亡くなった母よ!」
和服姿の正面立姿
もう一枚は細面の横顔が品よく
「あなた お母さん似ね」
思い出の写真をそっと忍ばせ
お母さんと二人
今日の裁判に臨むAさん

半世紀以上も前
太平洋戦争末期
アメリカ空軍の爆撃にさらされ
左足を奪われ血の海の中
奇跡的にいのち拾いした
当時Aさん六歳
トカゲの尻尾のように足は生えて来なかった
片足を失くした少女とその母
其の後の多難の人生は
想像に難くない

口頭弁論は午後三時に始まりました
法廷は前後左右
居並ぶ 裁判官(三名)
弁護団(十二名)
国側代理人(五名?)
原告(十八名中十五名)
記者団(十名)
後方は支える会・傍聴人(八十名)
で埋めつくされました
尚予想以上の人が入廷できませんでした

弁護団長による力強く説得力溢れる
意見陳述につづいて
裁判官の前に進み出た
Aさんの陳述は二十分
穏やかにはっきりとした口調で
時として悲しみを込め
苦痛を滲ませ
戦後六十三年間
空襲被害者のみが未だ何の救済もなく
国から棄民の如く放置されている現実
その非人間的、非民主的扱いの不当性
しかも終戦を遅らせ多数の犠牲者を
生んだ責任
現今の平和憲法無視の自衛隊
海外派兵の国民への裏切り等を訴え
最後まで姿勢を崩しませんでした
陳述中
運動を共にして来た友人が
苦悩の果て三十代半ばで自死
その悔しさを語るたとき
又、全身火だるまとなり
顔 手足にケロイドを残し
変形したものの一命は助かり
今は老齢の身を病床に伏す
仲間を語るとき
更に母親に対して
「どうして戦争に反対しなかったの」
と責めつづけた思いを語りながら
しばし絶句
法廷はしーんと涙に包まれました

戦争を知らない
若手弁護団の
映像を駆使した熱意ある弁論は
臨席の知人が
「弁護団はようやる さすがや」
と感嘆の声を洩らしたのが印象的でした
それにしても国側代理人の
気の無さそうな態度?
何処かの裁判では
居眠り鼻くそほじりに終始とか
ふとイラクのジャーナリスト ザイディが
記者会見の席上
アメリカのブッシュ大統領目がけ
靴を投げつけたという
あの場面が脳裏をよぎりました

東京大空襲訴訟の
弁護団・原告団の方も
応援に駆けつけて下さり
この日歴史的にも重要な裁判の
第一歩が印されました
Aさんも重責を果たされ
お写真のお母さんも
さぞホッ!となさいましたでしょう

引き続きの報告集会では
はみ出すばかりの人・人・人
若い大学生も参加
励ましの発言等あり
原告・弁護団・呼びかけ人
支える会それぞれ
先行き長い裁判への固い決意を述べられ
熱い集会は終わりました

会場を出ると
町は紫色に暮れなずみ
若葉の香りをふくんだ風と
北浜から淀屋橋へ
オフィス街の真上
澄んだ夜空に
大きな大きな金星
あの静かなまたたきは
もしや
お母さん!
あれは あなたの
地上の人への
労りと祈りの
慈愛のまたたきではなかったでしょうか。

[『憲法九条だより』第9〜11号から]

2009年12月1日火曜日

西区「市民集会」は九条の花

 さる11月1日、ウエスティホールにおいて「守り広げよう憲法9条、市民集会」を開催し、雨にもかかわらず300名を越す人たちが集まり、大成功を収めることが出来ました。この集会は「福泉鳳九条の会」3周年に合わせ、堺市西区内の九条の会に呼びかけたところ、20団体の参加があり、実行委員会をつくり約半年かけて準備してきたものです。九条を守り平和を守る西区の活動に新しい歴史を拓いた画期的な取り組みとなりましたことを、ともに喜びたいと思います。

参加者の感想:「元気をもらいました!」

 予報が的中した雨の中にもかかわらず、300余名の参加をえて、西区の九条を守る力が一つになった集会がはじまりました。多幡実行委員長の開会挨拶は「わが国が憲法九条を変え海外で戦争をする国になるなら、世界の流れに逆行する愚かなこと」と力強いことばで結ばれたのが印象的でした。

 立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長・安斎先生の講演は圧巻でしたが、与謝野晶子の話で、晩年の戦争賛美に触れられたところがあり、名声を得てからも権力に媚びない思想維持の困難さを、歴史的にみた評価に聞き入ってしまいました。野の花合唱団のさわやかな歌声、「ぐみの木」の歌い込まれた味のある歌声、大阪空襲訴訟支援の心にしみ込んでくる歌と原告安野さんの裁判支援の訴えは「戦争さえなければ人生は変わっていた」と命の尊さを痛感しました。平和を守り、九条を守る大切さを改めて見つめる事ができ元気をもらったすばらしい集会でした。(草部、横山由紀子) 

 [『憲法九条だより』第10号(2009年12月1日)から]

2009年11月8日日曜日

「守り広げよう憲法9条」集会記事が大阪民主新報紙に


 さる11月1日に開催した「守り広げよう憲法9条」の集会の記事が、11月8日づけ大阪民主新報紙の第7面に掲載されました。『「平和守れ」の集い 多彩に』と題する記事のトップに「被爆国から核廃絶・平和の運動を:堺の市民集会に300人」として、写真入りで報告されたものです(イメージ参照)。

 記事は安斎氏の講演について、「太平洋戦争もベトナム戦争も国家と政治のウソから始まったものと指摘。日本国憲法の平和の精神は国際社会にとって掛け替えのない値打ちを持っていると詳述。9条でこそ日本の平和が守られることに確信を持ち、唯一の被爆国から核兵器廃絶・平和の運動を広げようと呼び掛けました」と紹介しています。

 実行委員長の開会あいさつ、野の花合唱団とうたごえサークルぐみの木の演奏、大阪空襲訴訟原告の安野輝子さんの裁判支援の訴え、歌手・すぎむらこうきさんらの訴訟支援ソング熱唱についても述べられています。

2009年11月1日日曜日

「守り広げよう憲法9条」集会成功

 皆さんのご協力により、先のブログ記事でお知らせしました集会「守り広げよう憲法9条」が成功裏に修了しました。集会の写真を以下に掲載します。


野の花合唱団による合唱

うたごえサークルぐみの木による合唱

安斎先生の講演

会場風景

大阪空襲訴訟への支援の訴え

 なお、実行委員長が次の通り開会挨拶を述べました。



 皆さん、きょうは大勢お集りいただき、ありがとうございます。お配りしましたプログラムの表紙にあります「ピース! ぴーす! PEACE! サインはピース!!」の「合言葉」のもとに集まった皆さんの中には、「戦争が好き」という方は一人もいらっしゃらないでしょう。

 戦争は人間同士が殺し合いをする野蛮な行為であり、すばらしい芸術や科学を生み出している人類の英知には、全く似つかわしくないものです。いまも地球上には、小さな戦争が絶えてはいませんが、オバマ大統領の核兵器廃絶に向けたプラハ演説をきっかけに、平和への努力をする機運が世界で高まっています。そういう状況の中で、憲法9条を変えて日本を海外で戦争の出来る国にするとすれば、それはいかにも愚かなことです。

 昨年のノーベル物理学賞受賞者の一人の益川敏英さんは、「私はただ戦争が嫌いなだけです」と、理屈抜きで述べて、憲法9条を変えることへの強い反対が起こることを信じておられます。私たちは、益川さんのこの期待に積極的に応えて、日本の大多数の人々を、憲法9条を守る仲間に引き込み、そして憲法9条を世界に輝かせるよう、努めようではありませんか。

 そんな難しいことは自分には出来ない、と思う方もいらっしゃるかも知れませんが、オバマ大統領の好きな言葉、"Yes, we can!" にならいましょう。私たちの近くに「戦争は嫌い」という気持ちを眠らせている人びとがあれば、その気持ちに目覚めて貰い、その気持ちを大切にするには何が必要かを考えて貰い、日本中を次第にこの会場の私たちようにして行けばよいのです。きょうの集会が、私たち自身のそうした努力への思いを強めるのに役立てば幸いです。



 当日配布したプログラムのチラシに掲載の開催趣旨と集会実行への参加・賛同団体などは次の通りです。

西区憲法9条の会全体集会開催にあたって

 日本が二度と戦争を起こさない平和な国であるように、憲法9条を守り、また、これを世界に広めようと、井上ひさしさん、大江健三郎さん、故加藤周一さんらの呼びかけで、2004年に「九条の会」が発足しました。そして、これを草の根で支える会が全国で7400をこえて広がっています。

 日本の政治は、航空自衛隊によるバグダッドへの多国籍軍空輸や、海賊対策を口実にした海上自衛隊の海外派遣と武器使用の強化など、アメリカ政府の要求に従って自衛隊をアメリカ軍とともに海外で戦える軍隊にする方向に進んで来ました。改憲をねらって制定された国民投票法の施行時期もせまっています。

 他方、アメリカのオバマ大統領はさる4月、唯一の核兵器使用国であるアメリカには核兵器のない世界の実現に向けて努力する道義的責任があるという演説をしました。国連安全保障理事会も9月24日、核軍縮条約の交渉を呼びかける決議を全会一致で採択しました。

 世界がこのように平和に向って歩み出そうとしているときに、わが国が憲法9条を変えて、海外で戦争をする国になるならば、それは歴史の歯車を大きく逆転させる、まことにおろかな行為といわなければなりません。きょうの集会が「憲法9条を守ろう」という国民の声を大きくするために役立てば幸いです。

集会実行委員長 多幡達夫


 集会実行への参加・賛同団体など

 福泉・鳳「憲法九条の会」、この指とまれ九条の会、耳原鳳クリニック職員の会、老健職員の会、健康友の会みみはらふくいずみ支部、同鳳支部、同津久野支部、同浜寺支部、生活と健康を守る会、堺南民主商工会、障害者団体麦の会、新日本婦人の会、結いの里、鳳保育園、みんなの保育園、ひまわり保育園、陽だまり保育園、治安維持法国賠同盟、教会牧師・足立



 後日の追記:集会については、11月8日づけ大阪民主新報紙にも紹介されました(こちら参照)。

2009年10月5日月曜日

集会「守り広げよう憲法9条」のお知らせ


ピース! ぴーす! PEACE! サインはピース!!

守り広げよう憲法9条

2009年11月1日(日)

□ 会 場:ウエスティホール(堺西文化会館)
(JR 阪和線鳳駅下車徒歩5分)
□ 開 会:午後2時10分(開場/午後1時40分)
□ 参加協力費:500円

第1部
○ 野の花合唱団
<指揮:植田 幸雄 ピアノ:豊浦 由美子>
○ うたごえサークル ぐみの木
<指揮:石若 雅弥 ピアノ:田中 多美子>

第2部
○ 今、9条があぶない
講師:安斎 育郎 さん
(立命館大学名誉教授・
同大学国際平和ミュージアム名誉館長)
○ 大阪空襲訴訟
原告代表世話人:安野 輝子 さん

□ 主催:西区憲法9条の会全体集会実行委員会
事務局/上田 TEL・FAX 072 (273) 5367



後日の注記:

この集会について、「九条の会」メールマガジン 第80号(2009年10月10日)にも掲載して貰いました。見出しは 福泉・鳳「憲法9条の会」(大阪府堺市)となっています。

「九条の会」メールマガジン 第81号(2009年10月25日)にも掲載されました。今回の見出しは 西区憲法9条の会(大阪府堺市)となっています。

2009年4月15日水曜日

「九条の会」と大阪空襲訴訟

 「泣き寝入りは絶対できない。戦争をこの世からなくしたい…」「裁判は自分にできる最後の平和運動」。固い決意を胸に、大阪空襲訴訟原告団・代表世話人安野輝子さん(堺市西区鳳南町)は、さる3月4日、大阪地方裁判所第202号法廷において、居並ぶ裁判官、原告弁護団、国側代理人、詰めかけた傍聴人の見守る中、第1回口頭弁論に臨み、意見陳述の大任を果たしました。

 福泉鳳九条の会では、2008年11月24日の大阪空襲訴訟原告団結成集会の当初から、多幡達夫・呼びかけ人代表が支える会の呼びかけ人に名を連ね、同年12月8日の大阪地裁への提訴、今回の口頭弁論と一貫して支援してきました。

 この訴訟は、朝日新聞・しんぶん赤旗をはじめ各メディアが大きく報じてきましたので、多くの方がご存知だと思います。

 68年前、国がおこした無謀な戦争で空襲の惨禍をくぐって、辛い人生を生きのびてきた空襲被害者を、半世紀以上になる今日まで、国は棄民同様に全く省みることはありませんでした。国の救済を待ちきれずに亡くなられた方がたも沢山おられます。手厚く補償されている軍人軍属・遺族その他に比べて、放って置かれているのは一般被災者だけです。まったく非人間的な扱いです。

 被災者の多くは、手足を奪われ、顔や背中に火傷跡のケロイドを残し、高齢の今は生きる希望すら失っています。しかも、21世紀になっても戦火の炎は地球上から絶えることはありません。

 原告団代表の安野輝子さんは、私たち「福泉・鳳地域 憲法九条の会」の仲間のお一人でもあります。この先、非情な国を相手に長い裁判を闘っていかれるわけですが、九条を守る活動と連動して、私たち一人ひとりが大阪空襲訴訟の原告団をしっかり支えていかなければと思っています。

 こうしている間も、世界のあちこちで戦火に追われ、罪のない人たちが必死で逃げ惑っています。64年前の私たちのように…。

 人間の手で起こす戦争の悲劇は、人間の手で断ち切らねばなりません。これからも、しっかり九条を守りぬき、世界に広めていきましょう。大阪空襲訴訟の次回公判六月三日への参加や、支える会への入会やカンパもお願いします。(C・A)

[『憲法九条だより』第9号(2009年4月15日)から]

2009年1月1日木曜日

署名2000を達成しました

 会では毎月9の日に、地域に入り宣伝と署名に取り組んできました。有権者の過半数2万が目標ですが、まずは2000を2008年中にと思っていました。

 地域訪問は、鳳南町、上、草部を回り、いまは鳳中町に入っています。九条の旗を掲げハンドマイクで訴えながら、数組で家庭を訪問し、平和と九条の対話をしながら署名をもらっています。九条の会は全国で7000を超え、その活躍ぶりはマスコミでもたびたび紹介されていますが、それでも「九条の会ってなんですか?」とか「憲法九条って何ですか?」と聞かれる人もあります。

 「戦争は反対だけど署名は出来ません」「個人情報を知られたくないので、ちょっと…」といわれたり、「憲法九条をかえることに賛成です」という人も少数ですがおられます。ドア越しに「できません」とか「今忙しいので…」と断られることも多く、なぜか署名数に地域差があります。

 11月の耳原健康祭りの舞台で人形劇を演じ、署名の訴えをしたことで、その日101筆集まり、計2016筆となりました。次は3千を目指します。九条の値打ちを多くの人に語り広げ、二度と戦争をおこさないように、がんばりましょう。(事務局長・上田)

[『憲法九条だより』第8号(2009年1月1日)から]