2012年12月31日月曜日

「そこが聞きたい:領土問題 日野原重明氏」毎日新聞


 12月24日付け『毎日新聞』東京朝刊は、101歳の日野原重明・聖路加国際病院理事長へのインタビュー記事を表記の題名で掲載しました。全文はこちらこちらでご覧になれます。日野原氏の領土問題などについての考えは、主に次の言葉に現れています。
 本来、日本の領土は北海道と本州、四国、九州の本土だけで、他はすべて日清・日露などの戦争を介して獲得した領土だ。沖縄だって元々は琉球王国を接収したものです。領土問題を考える際、我々はその歴史をまず認識し、その自覚を元に、尖閣諸島や竹島や北方四島の問題を再検討したらどうか。

 争うのは海底に資源があるからでしょう。(領有権の整理に)あいまいさは残っても、日中・日韓境界近くの資源は日本が得意な技術を提供して共同開発し、利益を折半したらいい。

 [沖縄の米軍基地も]サイパンかグアムへ移す。資源もない丸裸の沖縄なら、世界の非難があるのに、誰が手出しできますか。できやしない。

 [自衛隊は]専守防衛に徹し、海外派遣は災害の救助に限定する。

 ドイツの哲学者カントが晩年、「永遠平和のために」という本を書いたでしょ。そこで「非戦」という思想に到達している。休戦協定や平和条約で「不戦」を取り決めるだけでは不十分なんだ。

 …自分が自分の過ちを許すように、相手の心もおおらかに許す。今の政治や外交には、愛がないね。損得条件の話ばかりで、精神がない。
 記者は前文で、日野原氏は「意表外な日本の生き方を」説いたと書いていますが、私はこういう考えこそがまっとうなもので、多くの政治家たちがこのように考えないのは、まことに浅はかだと思います。

多幡記

2012年12月30日日曜日

漱石が『それから』に映した日本


 漱石の『それから』の中の、主人公・代助が友人・平岡に対して、自分の働かない理由を述べている箇所に、次の言葉があります。
「…日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでゐて、一等国を以て任じてゐる。さうして、無理にも一等国の仲間入をしやうとする。だから、あらゆる方面に向つて、奥行を削つて、一等国丈の間口を張つちまつた。なまじい張れるから、なほ悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。其影響はみんな我々個人の上に反射してゐるから見給へ。斯う西洋の圧迫を受けてゐる国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、さうして目の廻る程こき使はれるから、揃つて神経衰弱になつちまふ。話をして見給へ大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考へてやしない。考へられない程疲労してゐるんだから仕方がない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴なつてゐる。のみならず、道徳の敗退も一所に来てゐる。日本国中何所を見渡したつて、輝いてる断面は一寸四方も無いぢやないか。悉く暗黒だ。…」(青空文庫版による)
『それから』が書かれたのは、1909(明治42)年ですが、漱石の見た日本は、いまの日本をも予想しているかのようです。「西洋の圧迫」は、安保によるアメリカの圧迫に見られ、「道徳の敗退」は、原発事故の悲惨さにもかかわらず、再稼働を求める財界やそれに応じようとする政治家に最も強く見られます。ほかにも、いまの日本と酷似しているところがあると思えてなりません。この国は、明治時代からほとんど進歩していないようです。

多幡記

2012年12月28日金曜日

早速の悪政方針:第2次安倍内閣の閣僚発言など


 昨27日付け『東京新聞』は、「経産相、30年代原発ゼロ見直し 核燃サイクル継続も」と題する記事を掲載しました。その中で、茂木経済産業相が27日未明の記者会見で、2030年代に原発稼働ゼロにする前政権の方針は「再検討が必要」と述べ、原発ゼロ目標を見直す方針を明言したこと、原発から出る使用済み核燃料を再処理する核燃料サイクル政策は「完全に放棄する選択肢はない」と、継続する意向も表明したことを報じています。

 「新政権の閣僚が原発ゼロ目標の見直しを言明したのは初めて」とありますが、着任早々のことであり、また、自民党の選挙公約からも予想できたことです。

 上記の記事は、麻生財務相が2013年度予算編成で、財政規律を守るための新たなルールを策定する考えを表明するなど、第2次安倍内閣の閣僚が、前政権の主要政策からの転換を鮮明にする発言を相次いで行なったことも述べています。

 さらに、同紙同日の「安倍政権、防衛大綱見直しへ:対中など、米国と連携強化」と題する記事は、安倍政権が27日までに、国の防衛力整備の長期的な指針である「防衛計画の大綱」を見直す方針を決めたことを記しています。現行の防衛大綱は、菅政権の2010年末に閣議決定し、2011年度から約10年間の防衛方針を規定したものでした。これを、軍備増強を続ける中国の動きに対応した内容に修正するのが目的だということです。

 軍事対抗主義は、現実的にも軍拡競争を煽るだけで何の効果もないばかりか、憲法9条の「武力による威嚇…中略…は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」に違反しています。これらの悪政を多数の住民の声によって改めさせて行かなければなりません。

多幡記

2012年12月27日木曜日

「歴史観、見直せば孤立」藤原帰一氏、朝日紙「時事小言」欄で


 『朝日新聞』夕刊に月一度載せられている国際政治学者・藤原帰一氏の「時事小言」欄の今月分は、表記の題名で12月26日に掲載され、「憲法改正」について述べられていました。(こちらでご覧になれます。全文を読むには朝日新聞デジタル会員登録が必要です。無料登録でも、一定期間一定数の記事という制限はつきますが、閲覧できます。)

 私は藤原氏の論調に全面的に賛成するものではありませんが、氏が「私は憲法改正が必要であるとは考えない」と述べていることを大いに評価します。

 藤原氏が憲法改正は必要でないとする理由は、安倍首相が前回首相を務めた際に「戦後レジームからの脱却」を唱えたことに関わっています。氏はこの言葉が、日中戦争と第2次世界大戦を日本の侵略として捉えることを自虐史観として、そこから脱却することを含むと見て、このような歴史の見直しには賛成できないと述べています。

 そして藤原氏は、そのような日本軍国主義の事実上の名誉復活は、第2次世界大戦後の世界の基礎をなしてきた国際社会の基本的合意に背を向ける行動にほかならないとし、その流れのなかで憲法改正をすれば、中国・韓国ばかりでなく、欧米諸国からも日本が厳しく批判されることは避けられないだろう、と指摘しています。——これは安倍首相を初め改憲派の議員たちに、ぜひ考えて貰わなければならないことの一つです。

多幡記

2012年12月26日水曜日

『はだしのゲン』の中沢啓治さん死去


 原爆投下後の広島を生きる少年を描いた『はだしのゲン』で知られる漫画家・中沢啓治さんが、肺がんのため12月19日に広島市内の病院で亡くなりました。73歳でした。

 『東京新聞』は、死去の分かった25日の夕刊に「核廃絶 ゲンに託す」の題名で訃報を掲載しています。その記事は、中沢さんが『はだしのゲン』執筆の動機について、戦後に母親が亡くなった際、ぼろぼろの遺骨を見て原爆や戦争への怒りが噴き出したと語っていたことや、また、その漫画の中で一生懸命に生き抜く人の姿を描いたことについて、「何回踏まれても大地に根を張り真っすぐに伸び、豊かな穂を実らせる『麦』がテーマ」と話していたことなどを紹介しています。

 同紙は26日朝刊にも、「ゲンは怒ってるぞ」と題する記事で、中沢さんが2009年に白内障と網膜症などで漫画家引退を表明した後も、「しゃべれるうちは言いまっせ、ゲンは怒ってるぞ、って」と、原爆への怒りを持ち続けていたことなどを報じています。そして文末で、核兵器や戦争のない世界を築いていってほしいとの中沢さんの遺志を、未来を担う若い世代がゲンとともに受け継ぎ実現させてほしい、と訴えています。

 2010年5月の核不拡散条約 (NPT) 再検討会議では、核保有国を含む189の国々が「核兵器のない世界の平和と安全を達成する」ことを決めています。いま、全ての国の政府がすみやかに核兵器禁止条約の交渉を開始することが求められます。

多幡記

2012年12月25日火曜日

「九条の会」メルマガ第155号:澤地久枝さん、毎日新聞のロングインタビューで語る


 表記の号が2012年12月25日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。なお、メルマガ読者登録はこちらでできます。

 以下に編集後記を引用して紹介します。
編集後記~澤地久枝さんが毎日新聞のロングインタビューで語っています

 このたびの総選挙はすさまじい結果になりました。今後、安倍自民党はまず集団的自衛権の解釈と第96条を変え、ついで9条を変えて国防軍で戦争をする国をめざそうとしています。まさにいまこそ、「九条の会」の踏ん張り時です。澤地さんのインタビューのタイトルは「『絶望した』 言うまい」です。
 今年もはや年の瀬ですね。メルマガ、1年間のご愛読、ありがとうございました。心から御礼申し上げます。来年も投稿を含め、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

2012年12月20日木曜日

「小選挙区24%、比例代表15%:自民、民意薄い圧勝」東京新聞


 12月18日付け『東京新聞』は表記題名の記事を掲載しました。こちらこちらでご覧になれます。

 記事は、16日の衆院選で自民党が定数(480)の6割を超える294議席を確保したものの、小選挙区で自民党候補の名を書いたのは全有権者の約1/4、比例代表では15.99%だったことに注目し、「自民党の勝利は、必ずしも民意を反映したものではない。多党乱立と低投票率が自民党を利した結果であるということが、はっきり分かる」と記しています。

 記事はまた、「民意を集約して二大政党制に導く小選挙区制で自民党は、有権者全体に占める得票率の三倍以上の議席を獲得。信じられないような世論との乖離(かいり)が生じた」と述べ、小選挙区制の弊害にもふれています。

 自民党の見かけ上の「圧勝」にもかかわらず、「原発ゼロ」と「憲法9条護持」を望む国民多数の声自体がなくなったわけではありません。闘いはこれからです。

多幡記

2012年12月19日水曜日

JR大阪駅頭での宣伝活動に対する威力業務妨害罪等の適用に憲法研究者たちが抗議声明


 2012年12月9日大阪府警は、同年10月17日にJR大阪駅駅頭で「震災瓦礫」の受入れに反対する宣伝活動を行った下地真樹氏(阪南大学准教授)らを、威力業務妨害罪および不退去罪で逮捕しました。これに対して、石川裕一郎氏(聖学院大学)ら5名の呼びかけ人と62名の賛同者からなる憲法研究者たちが、12月17日、抗議声明を発表しました。

 下地氏らの宣伝活動は、駅頭でハンドマイク等を用いて、大阪市の瓦礫処理に関する自らの政治的見解を通行人に伝えるもので、憲法上強く保護されるべき表現活動でした。声明は、このような表現活動に対して逮捕を行なうことは、「憲法上強く保障された表現の自由を不当に侵害し、市民の表現活動を幅広く規制対象にする結果をもたらし、ひいては自由な意見交換に支えられるべき議会制民主主義の過程を深刻に害するもの」であり、「憲法上許容されない」として、大阪府警に強く抗議するとともに、逮捕者たちの即時釈放を要求しています。声明の全文はこちらでご覧になれます。

 このような表現の自由の侵害は、わが国が戦争に突入して行った暗い時代の再来を思わせるものであり、絶対に許せません。

多幡記

2012年12月18日火曜日

「脱原発 世論6割、当選3割:3大争点すべてズレ」東京新聞


 12月17日付け『東京新聞』は、表記題名の記事を掲載し、衆院選の結果が、原発政策、そしてそれとともに大きな争点だった消費税増税と憲法9条について、いずれも民意と隔たりのあることを報じています。

 同紙が公示直前に行った全国3600人対象の世論調査と、東京都の25選挙区に立候補した134人を対象に行ったアンケートをもとにしたものです。それによれば、3大争点に対する世論の多数意見の割合と、それらに同意見の小選挙区獲得議席数の割合との間で、差が歴然としています。記事全文はこちらまたはこちらでご覧になれます。

 上記の記事は、主として比較の結果を述べただけで、隔たりの原因に詳しくは言及していませんが、その原因の一つとしては、小選挙区制が民意を正しく国会に届け得ないものであること、また、他の一つとして、多くの票が必ずしも政党の今後の政策をよしとして投じられてはいないことが考えられます。

 このことから、比較結果は、自民党が「多数をとったからといって、決して自党の考えだけでつっ走ってはならない、もしもそうすれば、また民意の掣肘を受ける」という自覚をする必要性を強く示しているものといえましょう。

多幡記

2012年12月17日月曜日

「国民をよく畏れよ」東京新聞


 衆院選で自民党が多数を取りしましたが、12月17日付け『東京新聞』は、表記の言葉を題名に含む社説を掲載し、これは「民主党政権への厳しい審判」であり、「民意はかつてのような自民党政治への回帰を積極的に支持したわけでもなかろう」と論じています。

 社説はまた、「安倍自民党は勝利におごらず、野党の主張に耳を傾けて丁寧な国会運営に努め、地に足のついた政権運営を心掛ける必要がある」、「集団的自衛権の行使容認など、党の主張は一時棚上げすべきではないか」、「民主党は敗北したが、次期政権が引き継ぐべきもの…中略…それは原発ゼロを目指す方針だ」などの貴重な主張をしています。

 そして、「今回の政権交代は、政治は国民の手にあることを再び証明した。このことを自民党はもちろん、すべての議員が畏れるべきである」であると結んでいます。

 この結びの言葉は、まさに、全ての議員が心にとどめるべき言葉であるとともに、選挙の結果に落胆した側の国民をも勇気づける言葉です。社説の全文はこちらでご覧になれます。

多幡記

2012年12月16日日曜日

再び魯迅の言葉


 先般の記事で、大江健三郎さんのエッセイに魯迅の次の言葉が紹介されていたことを書きました。
希望は、もともとあるものとも、ないものとも言えない。
それはまさに地上の路(みち)のようなものだ。
本来、地上に路はなく、歩く人が増えれば、そこが路になるのである。
 この言葉について私は、「魯迅は、『希望』を単にばくぜんとした望みでなく、実現へと確実にたぐり寄せるべき目標ととらえ、その方策をも示唆するものとしてこの言葉を書いたのでしょう」という感想を述べました。

 本日(12月16日)付けの「堺アピール:教育基本条例撤回」事務局からのメールに、佐高信氏が昨日の講演会の締めくくりに、同じ魯迅の言葉(和訳の表現は若干異なりますが)を引用したことが記されていました。そして、「希望があるから闘うのか、希望がなければ闘わないのか。希望は、多くの人々ともに闘う中から生まれるのだと魯迅は言っています」との解説が付けてありました。

 この解説を読んで、なるほど、「希望」の語を、「闘いによって勝ち取るべき目標の達成可能性」の意味に取れば、「地上の路」へのたとえが、まことに理解しやすいと思いました。

多幡記

2012年12月15日土曜日

「だれかが犠牲 もういい」


 表記の題名は、『朝日新聞』夕刊の連載記事「ニッポン人脈記:民主主義 ここから」の、12月5日付け第10回の見出しです。この記事は、福島県生まれの東京大学大学院教授・高橋哲也さん(哲学)と、『安保と原発―命を脅かす二つの聖域を問う』(唯学書房、2012年)の著者で政治学者・東大名誉教授の石田雄(たけし)さんを紹介しています。

 高橋さんの「3・11で犠牲のシステムがあらわになった以上、これまでのように犠牲を『誰か』に押しつけ、自分たちは利益を享受することは許されない」という言葉、そして、「日本は再生可能なエネルギーへの転換を進めつつ、安全保障の分野では、東アジアとの相互信頼関係を醸成しながら、米国依存一辺倒の状態から脱却すべき」との主張が印象的です。

 石田さんも、「安保と原発は、ともに『中央が周辺を犠牲にして国策を強行する』という形の発展に根ざしてきた」と指摘し、「双方の根底にある発展の型を作り替えて、地域が自立的な発展を生み出せるよう、構想を練って実現を目指すべき」と提言していますが、もっともなことと思われます。

 私たちの、犠牲者を出さない選択がいま必要です。

多幡記

「三つの光景 安全を選ぶ原点」赤川次郎氏の投書


 作家の赤川次郎さんの投書が、表記の題名で12月14日付け『朝日新聞』の「声」欄に掲載されました。赤川さんは、昨年3月11日に東北地方を襲った大津波、福島第一原発の原子炉建屋の爆発、原発を安全と言い続けて来た専門家たちの茫然自失の姿、の三つの光景が示す現実こそが私たちの安全を選ぶ原点である、と述べています。

 そして、「狭い地震大国に原発を作り続けてきた政党が政権を取れば、原発を再稼働させる可能性が高い。首都直下型地震も南海トラフの地震もすべてはこれから」と警告し、「自衛隊を軍隊にすれば、放射能がふせげるとでも言うのだろうか?」と疑問を投げかけています。

 私たちは誤りのない選択をしなければなりません。

多幡記

「9条 この1票で:改憲論 実に愚か 92歳元兵士 岩井忠正さん」東京新聞


 12月13日付け『東京新聞』は、「憲法9条を変えるのか、守るのか。衆院選はその意思を投じる選挙でもある。…中略…投票日を前に、平和憲法の根幹をなす9条の重みを考える」として、表記題名の記事を掲載しました。

 記事は、9条「改正」が声高に語られる選挙戦について、岩井忠正さん(92歳、元兵士、東京都小平市)が、「実に愚かなことだと思います。日本もここまで来たか。私たちの年代の者が沈黙し過ぎたのか」と、声を震わせて語ったことを紹介しています。全文はこちらまたはこちらでご覧になれます。

 命の重みも左右する9条「改正」について、よく考えて明日の投票に行きましょう。

多幡記

2012年12月14日金曜日

「集団的自衛権の行使 論争は?」東京新聞、など


 12月11日付け『東京新聞』は「集団的自衛権の行使 論争は?」と題する特報記事を掲載しました。全文はこちらこちらでご覧になれます。後者のウェブページ(イメージ形式)には、同紙同日付けの「『戦争放棄』形骸化招く」の記事も合わせて上部に掲載されています。

 また、12月12日付けの『英フィナンシャル・タイムズ』紙は「安倍氏の首相返り咲きが意味すること」と題する社説を掲載しています。こちらまたはこちらでご覧になれます。総選挙の参考にしましょう。

多幡記

2012年12月13日木曜日

投票は「巨人、大鵬、卵焼き」ではいけない


 1960年代に、子どもたちの好きなものを表す「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉が流行しました。野球界では巨人軍の王貞治・長嶋茂雄の ON コンビが大活躍していた時代であり、相撲界では大鵬が双葉山以来の圧倒的な強さを誇っていた時代でした。

 子どもたちが強いものに憧れるのは自然だとしても、大人が選挙権を行使する際には、政党の過去の強さや人気、そしてマスメディアのあおりなどで候補者・政党を選んではいけません。私たちの一票には、私たちの暮らし、この国の将来、私たちの子孫の将来などがかかっているのです。

 各候補者や政党がどういう政策を行なおうとしているかをよく吟味して投票しましょう。とくに、基地問題に悩む沖縄の人たち、震災と原発事故の被災地の人たち、いろいろな障がいや病気を持っている人たち、職を失っている人たち、などなど、困っている人たちのことを十分に考える候補者・政党や、また、国のあり方を健全な国際的な視野で進めようとしている候補者・政党を見きわめて選ぶことが大切でしょう。

 参考資料の一部として、ブログ「[堺からのアピール]教育基本条例を撤回せよ」が本日付けで紹介している選挙関連情報へのリンクを記しておきます。
多幡記

2012年12月12日水曜日

「憲法改正のマジック」東京新聞


 12月9日付け『東京新聞』は表記の言葉を題名に含む社説を掲載しました。十六日投開票の衆院選挙で集団的自衛権の行使容認を訴えている政党や、容認派のいる政党の名も上げて、「憲法で禁じた集団的自衛権の行使を法律によって可能にする、こんなからくりが…中略…実現すれば平和憲法はなし崩しになります」と警鐘を鳴らしています。そして、「日本の平和を守り、国民の安全を守ってきた憲法を法律でひっくり返す『法の下克上』は断じて認めるわけにはいかないのです」と結んでいます。詳細はこちらこちらでご覧になれます。

 私たち有権者一同は、投票に先んじてこの問題を十分に考えなければなりません。

2012年12月11日火曜日

私の戦時体験:戦中戦後を思い出すままに

多幡貞子(上在住)

 自宅から徒歩で十分ほどの豊中市立克明小学校(当時の明徳国民学校)に私は通学していましたが、校庭の西北隅にあった奉安殿の壁が、やけに白かった覚えがあります。登下校のとき、「御真影」と教育勅語を納めたこの奉安殿に向って、ていねいに一礼することを厳しく申し渡されていました。四年生のときの担任の女教師は、いつも竹の棒を振りまわし、ヒステリックに児童の机を叩きまわっていました。先生のいわれるまま、「何で?」と聞き返すこともできなくて、おびえ、小さくなっていました。

 大阪工業試験所で合成ゴムの研究に従事していた父は、職場では軍から研究成果を急がされ徹夜の実験をして、家庭ではいつも不機嫌でした。大人は皆、子どもにやさしく接するような時代ではありませんでした。子どもは、目上の人への口答えはご法度で、絶対服従させられていました。

 戦局が不利になると、警戒警報のサイレンがたびたび鳴り響くようになり、学校から一目散に駈け戻り、地下防空壕に飛び込む日が多くなりました。夜もモンペ姿のまま眠り、警報と同時に枕元の防空頭巾をかぶり、ねぼけまなこで、親に叱られながら、暗くて湿っぽい土の匂いのしている壕に避難するのです。やがて、空襲警報の出る前に、B29 が編隊を組んでやってくる爆音がするようになり、爆弾投下の音がし始めると、もう生きた心地はしません。B29 が早く飛び去ることを祈るばかりの恐ろしい日々が続きます。

 私たちの小学校では、集団疎開はありませんでしたが、個人的に親類を頼って疎開する子どもはいました。同じクラスの一人の男子が奈良に疎開し、暑い日に窓際にいたところを、突然低空飛行して来た敵機に狙撃されて即死しました。終戦まであと数日のことでした。私の父は、戦時研究員ということで、出征をまぬがれたし、伯父たちも皆、復員してきたので、身近に「死」の体験がありませんでした。したがって、この同級生の死は、私にとって大きなショックで、F 君という名前をいまも忘れることができません。疎開しなければ、彼はいまも元気だったかもしれません。

 私の家から数十メートルと離れない塚にも、一トン爆弾が落ちてきましたが、周辺の人家に大きな被害がなかったのは幸いでした。終戦までの二ヵ月間に、豊中全体に六回の空襲があり、約千五百人の死者・行方不明者が出たと聞きました。いつのときにも、運・不運というのがあるのでしょう。

 終戦の日、学校へ行ってみると、あの厳しい女教師が職員室で泣いていたので、たいへん驚きました。ともかく、警報にびくびくしなくてもよくなり、また、夜は明るい電灯のもとで過ごせることを本当に嬉しいと思いました。食生活は相変わらず貧しいものでしたが、先生と学童、大人と子どもの間に自由な話し合いや笑いが生まれました。学校は活気と明るさに満ち、戦争のない生活とは、こんなに楽しい、すばらしいものかと感動したのでした。

 [大学の出身学科同期生有志による文集『戦時下の少女たち』(1998年)から]

2012年12月10日月曜日

「九条の会」メルマガ第154号:「メールマガジン[から]は、九条の会[が抱く]危機感を感じません」というKさんのご意見に答えて


 表記の号が2012年12月10日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。なお、メルマガ読者登録はこちらでできます。

 本号には、このブログ記事の表題に引用しました題名(角カッコ内は、意味を取りやすくするための追加あるいは書き換えをした部分)のやや長文のトップ記事が掲載されています。ぜひご覧下さい。以下に編集後記を引用して紹介します。
編集後記~メルマガ[本号]のトップ記事について

 札幌のKさんへのお返事を冒頭に載せました。お気持ちはよくわかり、また編集子としても、危機感一杯なのですが、「九条の会」としてどうあるべきか、慎重に考えたいところです。各地の会の皆さまの自主的ご判断に任せたいと思います。私としてはこの編集後記で、許容範囲で、できるだけ思いを書いてきたつもりでおります。お互いにもっとも効果的な方法で情勢に立ち向かう道を見つけ出したいと思います。今後ともよろしくお願いします。

2012年12月8日土曜日

「『戦争放棄』かき消すのか 民主主義再生の契機に」琉球新報


 第46回衆院選公示のさる12月4日、『琉球新報』紙は表記題名の記事を掲載しました。こちらで全文をご覧になれます。次の言葉がとくに目を引きます。
 憲法9条の一部改正を含め改憲志向を強める政党が増える一方で、護憲を掲げる政党が少ない。「平和国家」の強みを引き続き生かし切れるのか、「戦争をできる国」への一歩を踏み出すのか。各党、各候補者は国の根幹に関わる憲法問題について包み隠さず立場を明らかにし、有権者の審判を仰ぐべきだろう。
 保革を問わず県内首長が日米安保政策に異議を唱えている。背後には「差別するな」「植民地扱いするな」と考える[沖縄]県民がごまんといる。各党、本土住民には、この「公憤」が理解できるだろうか。
 本土の有権者一同も、これらの点に大いに留意して投票を行使すべきでしょう。

多幡記

2012年12月7日金曜日

「こんなに怖い選挙はない」中日新聞


 12月5日付け『中日新聞』は、社会部長・島田佳幸氏の執筆による表記題名の記事を掲載しています。衆院選のアンケート結果が、支持政党と望む政策とで矛盾していることから、その党の主張をよく咀嚼(そしゃく)しないで「何となく」投票先に決めている可能性のあることを指摘し、「『何となく』は禁物だ。この国の行く末、子どもらが生きて行く国のありようを決める投票—。そう考えれば、こんなに怖い選挙はない」と述べています。(詳しくはこちらでご覧になれます。)大切な一票を、政党や候補者の主張をよく読んで行使するようにしましょう。

多幡記

2012年12月6日木曜日

大江氏が紹介する魯迅の言葉


 『図書』誌2012年12月号の大江健三郎さんの「親密な手紙」欄は、「希望正如地上的路」と題して、魯迅の次の言葉を紹介しています。

 希望は、もともとあるものとも、ないものとも言えない。
 それはまさに地上の路(みち)のようなものだ。
 本来、地上に路はなく、歩く人が増えれば、そこが路になるのである。

題名は上記の二行目のもとの中国語表現です。大江氏は大学生時代にこの言葉に出会ったとき、感動したが引っかかりもしたということです。その気持を「二行目からの、魯迅の比喩展開のスピードについて行けず、一行目にノロノロこだわっていたのだった」と記しています。確かに、希望を路に例えるのは飛躍があります。魯迅は、「希望」を単にばくぜんとした望みでなく、実現へと確実にたぐり寄せるべき目標ととらえ、その方策をも示唆するものとしてこの言葉を書いたのでしょう。

 大江氏は反原発の大きい集会でこの魯迅の言葉を読み上げ、さらに「反・原発の世論が圧倒的であるのに(原発がある自治体、経済界、米国に配慮して、という)政府の無視があきらかとなる中でのデモにいた」[注:原文では()内の言葉に傍点をつけて強調してあります]と記しています。多くの人たちの歩く路が無視されることのない政治をこそ、私たちは選ばなければなりません。

多幡記

2012年12月3日月曜日

「国防軍創設の危うさ 自民の衆院選公約 識者ら懸念隠せず」東京新聞


 自民党が衆院選公約で国防軍を創設するとしていることについて、『東京新聞』は11月30日付けで表記題名の記事を掲載しました(こちらでも読めます)。記事は、憲法に戦力を持たないとある一方、武力としての自衛隊が存在するという長年の「混乱」を解決するためという公約について、日本が戦後守ってきた平和主義をねじ曲げる危険はないのかとの見地から、識者らの意見を聞き、おおむね以下のように伝えています。

 有識者の不安は、国防軍が自衛隊以上に巨大な存在にならないかという部分に集中しています。自衛隊は憲法との整合性に配慮して、「自衛のための必要最小限の実力」しか持つことができませんでした。しかし、憲法を改正し、国防軍を大手を振って保持することになれば、こうした歯止めが弱くなるのではないかということです。

 自民党の公約は、他国が武力攻撃を受けた場合、共同して防衛に当たる集団的自衛権の行使を可能にすることも明記しています。国防軍保持と集団的自衛権の行使が可能になった場合、日本の国防軍が海外で武力を行使することも否定できません。名古屋学院大の飯島滋明准教授(憲法平和学)は「国際平和、国際協調に違反する行為につながりかねない」と危惧しています。

 「九条の会」の奥平康弘・東京大名誉教授(憲法)は「自衛軍ならば自衛隊の延長で、現行憲法の専守防衛の概念が残る。国防軍としているのは国家を守るという意識を前面に出し、幅広い軍事行動を取れる特別な意味を込めているのではないか」と分析しています。同会事務局長で国文学者の小森陽一氏は「国防という言葉のイメージは自衛よりも好戦的。尖閣諸島問題で中国との緊張関係が高まる中、愛国心をあおる狙いがあるのではないか」と批判しています。

 国防軍保持に対して、中国と韓国はすでに反発しています。外交評論家の天木直人氏は「同盟国の米国にさえ、日本の軍国主義の復活には警戒がある」といっています。

 憲法改正の発議には衆参両院で3分の2以上が必要ですが、衆院選の結果次第では、自民党、日本維新の会、民主党の一部など改憲勢力がまとまった場合には、必ずしも不可能な数字ではありません。「こうした時代には威勢のいい改憲派の言葉が魅力的に響くが、それでいいのか。有権者は冷静に考えてほしい」と、小森氏は語っています。

 ——私たちは小森氏のこの言葉を、真剣に受け止めなければなりません。

多幡記

この道:9条改悪したら版


原詩・北原白秋
改詩・多幡達夫
作曲・山田耕筰

この道はいつか来た道
ああ そうだよ
赤い血が流れ落ちてる

あの丘はいつか見た丘
ああ そうだよ
ほら 黒い焼け跡ばかり

この道はいつか来た道
ああ そうだよ
兵隊さんが戦車で行ったよ

あの雲もいつか見た雲
ああ そうだよ
キノコの形をしている

 ——いやですね。こわいですね。ぞっとしますね。サヨナラ。サヨナラ…。

2012年12月2日日曜日

学習会「戦争と原発—アフガン、シリア、福島の現場から」への参加者感想


 本会がさる10月28日、堺市立西文化会館で開催した学習会「戦争と原発—アフガン、シリア、福島の現場から」(こちらこちらに既報)の参加者の方々がアンケート用紙に書いて下さった感想の一部を紹介します。
  • おもしろく、ためになりました。
  • 西谷文和さんの講演は大変わかりやすく、もっと大勢の人に聞いてもらえればと思います。脱原発や戦争、日本の未来についての話がよかったと思います。
  • 西谷さんのファンになりました。次回もぜひお会いしたいです。
  • ハシズム解説の続編を見たい。
  • 知らないこともたくさんあって、興味深い話でした。
    • とにかく戦争はいけない。どこの国とも戦争しないためには真剣に外交努力をしなければならない。
    • 原発も絶対だめです。お金はかかりましたが、わが家では太陽光発電を設置しました。ささやかな努力です。
  • 原発は金がかかるとか CO2 を出さないとか CM でよく流れていた。ラジオではよく聞いていたが、映像では初めて見て納得した。財界や金持ちの圧力、マスコミをにぎっているテレビの影響が大きなものだと思った。もっともっと、われわれ自身が本当のことを訴えねばならない。
  • 映像を駆使しての話、いつも淡々としての話というイメージでしたが、今回の話は大変おもしろかった。アフガン戦争から維新の会の動きを一挙につないでの話、誰がこの世を動かしているか、財界の意図でマスコミを動かし、ドンドンと右翼を利用して、国民の意識を戦争に駆り立てようとしていることがよく解った。
  • 地雷が300円と聞いてびっくりしました。劣化ウラン弾の放射線による奇形、戦争は本当によくないと思います。原発のため天然ウランを発掘して、濃縮ウランを作る、そのしぼり汁で劣化ウラン弾を作っていることにびっくりしました。私たちは知らされていないことを思いました。なぜ戦争をするのか? お聞きしたら戦争の死の商人がいるんですね。私たちは情報にだまされない真実の目をもちたいと思う。

2012年12月1日土曜日

『平和国家の原点に 憲法9条 重い沖縄の記憶』東京新聞


 11月29日付け『東京新聞』は、「争点の現場」と題するシリーズの「下」として、表記題名の記事を掲載しています。執筆した金杉貴雄記者は、世界遺産の一部として有名な首里城跡から北東3キロに位置する沖縄県西原町を訪れ、「西原の塔」と呼ばれる沖縄戦慰霊碑のそばに、同町で犠牲になった当時の村民5260人の名前が刻まれた碑が並んでいるのを見ました。名前の左わきに「0、3、45、1、14、73、…」と刻まれた数字の意味が、初めは分かりませんでしたが、それぞれの年齢だと知り、また、0歳を含む幼い子どもの多さに、胸がしめ付けられたそうです。

 記事はさらに、次のことを伝えています。
 [沖縄の人々の]怒りの矛先は、日米同盟強化を旗印に、沖縄への在日米軍の負担をさらに強めようとする政府に向かう。沖縄戦の重み。多くの政治家はかみしめてほしいと願う。
 今回の衆院選では、憲法9条へのスタンスをめぐって、各党間の違いが出ている。
 自民党は改憲で自衛隊を国防軍に位置づけることを打ち出した。また集団的自衛権の行使を可能にする「国家安全保障基本法」制定も盛り込んだ。
 自衛隊を軍として認めることは、単に名称を変更することにとどまらない。実際、安倍晋三総裁は国防軍に関して「海外と交戦するときは交戦規定にのっとって行動する」と明言。交戦規定を法的に整備する意向を表明している。
 平和憲法の理念に基づき、専守防衛に徹し海外で一発の銃弾も撃ってこなかった自衛隊。その性格が大きく変わる可能性もある。
 海外から右傾化の懸念が指摘される中、日本維新の会も集団的自衛権の行使を容認。石原慎太郎代表は現憲法破棄が持論だ。改憲発議のためには、衆参両院の三分の二以上の賛成が必要だが、自民党や維新の会などの勢力が伸びれば、その一里塚となることも考えられる。
 外交交渉で解決すべき領土問題にあおられて、国民が憲法9条改悪をもしも許すことになれば、日本はいくつもの戦争を引き起こして太平洋戦争で苦い敗戦の苦しみを味わった道を、再びたどることになるのです。そのような愚かなことを決して、してはいけません。

多幡記

2012年11月29日木曜日

改憲の分水嶺:自民党の恐るべき公約


 12月4日に公示される衆院選に向けて自民党が政権公約を発表したのに対して、『東京新聞』は「タカ派色前面 安倍首相時頓挫の公約再登場」と題する記事や「『改憲』は喫緊の課題か」と題する社説を掲載して批判しています。また、『日刊ゲンダイ』も、「本性見えた 安倍自民『ウルトラ右翼』公約」と題する記事を掲載しました。(それぞれの記事は、前記の題名をクリックしてご覧になれます。また、三記事のイメージがこちらのブログ記事に集められています。)

 とくに、『東京新聞』の社説が、「今回の衆院選と来夏の参院選の結果次第では、96条改正勢力が衆参両院で3分の2を超える可能性もある。発議要件が緩和されれば、いずれ9条改正にも道を開くだろう。今回の衆院選はその分水嶺にもなり得る、重要な選択である」と指摘していることを、私たち有権者は真剣に受け止めるべきです。そして、これらの記事が明らかにしている自民党の恐ろしい側面を、周囲の人たちに広く知らせて行かなければなりません。

多幡記

2012年11月27日火曜日

まさに「忌まわしい時代に遡る」:自民党の憲法改正草案


 「『日本国憲法改正草案』がヤバすぎだ、と話題に…」と題するウェブ・ページ(こちら)に、批判的な立場から自民党の日本国憲法改正草案を現憲法と対照した表(2012版)が掲載されています。表の作成者は「私が一番気になったのは、基本的人権を守ろうとする姿勢が大きく後退していること」と述べています。

 また、9条については第1項末尾から第2項へかけての「(国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては)永久にこれを放棄する。 ② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」が「きれいさっぱり削除され、その代わりにトンデモない集団的自衛権行使・可能を捻込んできた!」と評されています。改正草案は「(国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては)用いない。 2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない 」などとしているのです。

 沢田研二さんの『我が窮状』の歌にあるように、これではまさに「忌まわしい時代に遡る」ことになり、このような改正を万一許すことになれば、日本人はまことに「賢明じゃない」ということになるでしょう。

多幡記

2012年11月26日月曜日

「九条の会」メルマガ第153号:誰が憲法、とりわけ9条をしっかり守ろうとしているか


 表記の号が2012年11月25日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。なお、メルマガ読者登録はこちらでできます。

 以下に編集後記を引用して紹介します。

編集後記~まもなく都知事選挙、総選挙ですね

 14、5もの政党が争う大変な選挙になっています。今後のこの国のゆくえを大きく左右する選挙です。一部からは改憲と自衛隊の「国防軍」への改称や「集団的自衛権の行使」などという声がかまびすしく聞こえてきます。私たちは誰が憲法、とりわけ9条をしっかり守ろうとしているかを見極め、主権者としての権利を行使しましょう。

 おわび:先にメルマガ第152号を紹介しましたブログ記事で、リンク先が第151号になっていて、失礼しました。その後、修正しました。

2012年11月25日日曜日

本:『沖縄』『ヒトラーの国民国家』『低線量汚染地域からの報告』


 わが家では『朝日新聞』と『しんぶん赤旗』を購読していますが、最近は政治記事だけでなく、書評などの文化記事でも、前者には魅力のあるものがきわめて少ないと感じています。体制順応的な編集方針がそこまでも影響しているのでしょう。表記の題名の本は、いずれも後者の書評欄(11月18日付け)で知ったもので、いま大いに注目すべき問題を扱っています。

 『沖縄:日本で最も戦場に近い場所』(毎日新聞社、2012)の著者、吉田敏浩氏は、沖縄の人々の生の声を丹念に伝えるだけでなく、なぜ戦争の構造がいま存在しているかの背景に切り込んでもいます。「時宜に適し鋭く急所を衝いた正義の書」であると、新原昭治氏(国際問題研究者)は評しています。沖縄の人々の苦しみをどうすれば取り除くことができるかは、日本の国民全体が考えるべき問題です。

 『ヒトラーの国民国家:強奪・人種戦争・国民的社会主義』(岩波書店、2012)は、ドイツ生まれの歴史家・ジャーナリスト、ゲッツ・アリー氏の著書を芝健介氏が訳したもので、ドイツ国民がなぜナチ指導部による巨大犯罪を許し、自らも犯しえたのかという疑問に答えています。「日中・日韓の問題を考える際にも多くの示唆を与えてくれる」と、熊野直樹氏(九州大学教授)は評しています。ファシズムに似た「ハシズム」が危険ないま、来たる12月16日の総選挙を考える上でも参考になるでしょう。

 『低線量汚染地域からの報告:チェルノブイリ26年後の健康被害』(NHK 出版、2012)の著者たち、馬場朝子・山内太郎両氏は、チェルノブイリ原発から 140 キロ離れていて、「年間 0.5 から 5 ミリシーベルトの被爆線量が見込まれる地域」とされているコロステン市を訪れ、そこでも多くの病気が増えている事実を報告しています。評者の前田利夫氏は、「その原因を究明することもなく放射線の影響でないとするのは、はたして『科学的』といえるのか—大きな疑問を投げかけています」と述べています。福島第一原発の事故による低線量汚染地域の調査も徹底して行なわれなければなりません。

 余談ながら、以前私が水村美苗著『続 明暗』を愛読したので、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の続編である高野史緒著『カラマーゾフの妹』(講談社、2012)も読みたいだろうと妻が思い、その書評を読んだかと私に尋ねました。私はそれを見落としていて、朝日紙の書評欄だろうと思ったのでしたが、それも『しんぶん赤旗』の方でした。

多幡記

2012年11月17日土曜日

原水爆禁止2012年世界大会・科学者集会(滋賀)のこと


 表記の集会が2012年8月1日に滋賀県大津市で開催されました。『日本の科学者』誌12月号にその報告が掲載されています。

 それによると、全国から164人(科学者会議会員75名、会員外89名;滋賀県内76名、県外88名)が参加し、「非核の世界をめざして:核兵器廃絶と原子力発電からの撤退」をテーマに、2011年3月11日に発生した東日本大震災による福島第一原発事故後の同年7月に開催の岐阜集会と同様、核兵器廃絶と原発問題を関連させて取り扱ったということです。

 集会では七つの報告が行われ、続くリレートークでは11人の発言があり、総合討論では、約20人が発言し、活発な討論が行なわれたそうです。

 実行委員長・畑 明郎氏(元大阪市立大学)の呼びかけの言葉をこちら、日本科学者会議宮城支部のブログ・サイトでご覧になれます。

 また、七つの報告の短い概要を、下記のタイトルをそれぞれクリックして、同じく上記のブログ・サイトでご覧になれます。

 ジョセフ・ガーソン氏の「核兵器廃絶を実現することは、…(中略)…最初の原爆を受けた国の人々によるリーダーシップがあり、十分な数の諸国民が、アメリカや他の核保有国を包囲し、孤立させ、核兵器廃絶を実行させる意思と勇気を持つことが必要」との言葉を私たちは重く受け止めなければなりません。

 また、ブログ・サイトの概要には記されていませんが、『日本の科学者』誌の記事によれば、川崎陽子氏はドイツとの比較によって、収束の見通しのつかない未曾有の原発事故の当事者でありながら、事故検証を踏まえた改革もせずに強引な原発再稼働を勧める日本の根本問題を指摘したとのことです。

多幡記

2012年11月16日金曜日

「憲法が生きる日本をつくりましょう」



 大阪憲法会議・共同センターが上に掲載したようなチラシをつくっています。活用しましょう。

 おもての面(上掲の一つめのイメージ)には、「憲法が生きる日本をつくりましょう」と題して、憲法25条と憲法9条の条文をかかげ、「原発ゼロへ」、「青年に雇用を」、「暮らしに安心を」、「増税しなくても社会保障財源は確保できる」、「世界の流れは『核兵器のない世界』『紛争の平和的解決』」などの主張を、説明を添えて書いてあります。

 うらの面(上掲の二つめのイメージ)には、「憲法と民主主義守る府民共同の力で、くらしや教育、地域破壊の橋下『改革』にストップを」の言葉をかかげ、「橋下『改革』はだれのため」、「教育基本条例」、「職員基本条例」、「独裁・恐怖政治は許せません」などの説明を記してあります。

 大阪憲法会議・共同センターのホームページはこちら、チラシの PDF 版はこちらにあります。

多幡記

2012年11月15日木曜日

原発の非倫理性 2


 11月14日付け『しんぶん赤旗』の「学問・文化」欄に、18日まで東京・俳優座劇場で上演中『いのちの渚』の紹介がありました(記事の題名は「原発の本質 訴える力持つ」。『いのちの渚』公演案内のウェブページはこちら)。

 1989年に福島第2原発で起きた事故と事故発生直前の保修課長の変死に取材した吉村公一郎の戯曲で、今回が初演とのことです。紹介している演劇学研究者・北野雅弘氏は、戯曲の展開の単調さや設定の不自然さを指摘しながらも、課長の梶木(川井康弘が演じる)の寡黙な正義感とその妻理恵の優しさの描写は作品に奥行きを与えた、と賞賛しています。

 そして、なによりも、「嘘とごまかしを重ねる東電と国の無責任、その横暴は、[2011年の福島第1原発の]事故以来多くの住民を苦しめて来た。この作品がまさに今観客に訴える力を持つのは、人を踏みにじるその非道が原発の本質に由来し、私たちの社会がそれと共存できないことを示しているからである」との指摘に重みを感じました。上演の成功が期待されます。

多幡記

2012年11月14日水曜日

橋下さん、「平和ぼけしすぎ」とは何ごとですか


 日本維新の会代表の橋下大阪市長はさる10日、核兵器の廃絶について「現実には無理だ。[日本が]米国の核の傘の下に入ることは必要」と、全国遊説先の広島市で記者団に述べたことが報道されました(毎日 jp など)。橋下氏は「日本は国連の安全保障理事会の理事国でも何でもない。日本は平和ぼけしすぎている。国際機関の中で無視されかけている中で、[核兵器の]廃絶といっても誰ができるのか。現実的な戦略を訴えないといけない」とも語っています。

 日本国憲法は平和主義を柱にしているのです。その精神に忠実に平和を願う国民が多くいることを、「平和ぼけしすぎ」などということは言語道断です。核兵器廃絶は、核兵器を保有する大国のわがままによって困難であるだけに、核兵器を持たない国ぐにが力を合わせて、この非人道的なものをなくしていかなければならないのです。核兵器廃絶に弱腰になることは、人類の破滅に手を貸すことでしかありません。橋下氏の猛省を促します。

♪ふるさとの街やかれ
身よりの骨うめし焼土に
今は白い花咲く
ああ許すまじ原爆を
三たび許すまじ原爆を
われらの街に♪

浅田石二・詞、木下航二・曲「原爆を許すまじ」

多幡記

2012年11月13日火曜日

原発の非倫理性



 布施祐仁著『ルポ イチエフ:福島第一原発レベル7の現場』(岩波書店、2012年)の書評が、11月11日付け『しんぶん赤旗』の「読書」欄に掲載されていました。評者はジャーナリスト、元関東学院大学教授の丸山重威氏です。「イチエフ」とは「福島第一原発」の意味です。

 この本は、これまで指摘されながら、なかなか表面に出なかった問題、そして、同原発の事故によってようやく誰の目にも明らかになってきた問題を掘り下げています。著者は現場の作業員50人をインタビューして、「使い捨て」労働者の実態を描き出しているということです。丸山氏は「犠牲者を出さずには成り立たない原発という技術は、非倫理的だ。原発を考える人には必ず読んでほしい本だ」と記しています。

 原発は、捨て場のない核廃棄物を大量に出す不完全な技術であるばかりでなく、事故がなくても、定期点検などで「使い捨て」労働者に頼っており、一旦事故が起これば、事故処理のために働く多くの人たちを犠牲にするだけでなく、広範囲にわたる周辺の住民の暮らしまで破壊します。これらのことは、非倫理性以外の何ものでもありません。政府・財界の人たちに人間的な心が少しでもあるならば、このような技術に頼ることを一刻も早く止めようとの多数国民の要求に応じて貰わなければなりません。

多幡記

2012年11月11日日曜日

憲法9条の平和主義は世界史的意義を有する


 北村実氏(早稲田大学名誉教授)は、2008年の論文「平和主義の先駆——憲法第9条の意義」(『日本の科学者』Vol. 43, p. 460)に次のように記しています。

法学協会『注解日本国憲法』(有斐閣、1953)は、「これほど徹底的に、つまり自衛及び制裁の場合を含めて一切の戦争を放棄し、更に進んで軍備までも廃止した憲法は他に見当たらない」とし、第9条の平和主義が「世界史的意義を有する」と高く評価してやまない。

北村氏は、このような評価を裏書きする証拠はいくつもあるとして、次の3例を挙げています。
  • 憲法9条の先駆的意義をアメリカ人として誰よりも確信したチャールズ・オーバービーが、1991年に9条の世界への普及を提唱し、国際的な「9条の会」を世界で初めて発足させた。
  • 1999年にハーグで開催された平和市民集会が、「公正な世界秩序のための10原則」の冒頭に、「各国議会は、日本国憲法第9条にならい、自国政府に戦争を禁止する決議をすべきである」との原則を掲げた。
  • 2008年に千葉の幕張メッセで初の「9条世界会議」が開催され、ノーベル平和賞受賞者のマイレッド・マグワイア(北アイルランド)が基調講演で、「日本の平和憲法は世界中の人々に希望を与え続けて来た」と、9条の意義を改めて強調した。
 そして北村氏は、憲法9条は「人類の悲願だった不戦・非武装の理想の歴史上初の実定法化」、「主権国家のエゴイズムを乗り越えようとした最初の試み」として世界の共通目標になろうとしているのであり、これを守り抜く責務が私たち日本国民に課せられている、と指摘しています。

 私たちがこの責務を果たせるかどうかが試されるときが、いままさに近づいています。憲法9条のたぐいのないよさを学び、広めて行きましょう。

多幡記

2012年11月10日土曜日

「九条の会」メルマガ第152号:「『九条の会』からの訴え」を再録


 表記の号が2012年11月10日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。なお、メルマガ読者登録はこちらでできます。

 以下に編集後記を引用して紹介します。

編集後記~「『九条の会』からの訴え」を再録します
 ごく最近でも、第3極をめざす日本維新の会が発足したり、都知事の椅子を投げ出した石原慎太郎氏が憲法破棄などの課題を掲げて政党を立ち上げようとするなど、憲法をめぐる情勢はますます重大な方向へと向かっています。
 「九条の会」ニュース164号(10月16日)に掲載の「『九条の会』からの訴え」の意義がますます重要になっていると思われますので、以下に再録しておきます。



 明文改憲、集団的自衛権の行使容認などの解釈改憲の動きが強まる重大な情勢のもとで、学習と対話活動が重要になっており、草の根からの世論の盛り上げが重要になっています。
 『九条の会』は呼びかけ人などによる憲法セミナー、事務局主催の学習会を開きます。各地の九条の会も草の根の学習会を連続して開きましょう。
 来年の秋には憲法についての討論集会を開きます。全国から結集しましょう。



2012年11月9日金曜日

9条宣伝・署名活動で「我が窮状」


 本会の今月の9条を守り活かすための宣伝・署名活動を、きょう鳳西町で行ないました。私(多幡)は、マイク宣伝の中に下記の文を入れ、「我が窮状」の歌詞のところは歌ってみました。
 歌手の沢田研二さんも、「我が窮状」という歌で、憲法9条を守ることの大切さを訴えています。この歌の題名や歌詞にある「きゅうじょう」には、困った状態という意味の文字が当てられていますが、その意味するところは憲法9条です。
♪麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが
忌まわしい時代に 遡るのは 賢明じゃない
英霊の涙に変えて 授かった宝だ
この窮状 救うために 声なき声よ集え
我が窮状 守りきれたら 残す未来輝くよ♪
まだ2番とリフレインが続きますが、長くなりますので省略します。2番の歌詞には、「この窮状 救いたいよ 声に集め歌おう」という言葉があります。歌詞や楽譜、沢田研二さんが歌っている録画などがインターネット上にありますので、皆さんもぜひ、覚えて歌い、憲法9条を守ろうとの声をもっともっと広げようではありませんか。
 小・中学校時代に習った、あるいは聞き覚えた歌ならば、ウォーキング中に比較的正確なメロディーで口ずさんでいるつもりですが、この歌のメロディーはいささか難しく感じられます。年のせいで、新しいものを記憶に取り込む能力が衰えているためでしょうか。あるいは、実際に難しいメロディーなのでしょうか。

 ちなみに、歌詞と楽譜はこちらに、沢田研二さんが歌っている録画・録音はこちらこちらにあります。

多幡記

2012年11月5日月曜日

「石原氏 シナ発言の危うさ:歴史呼称 侮蔑に転化—戦時に使用 中国から嫌がられ」東京新聞


 10月31日付け東京新聞は、小倉貞俊、荒井六貴の両記者が『「石原新党」の主役、石原慎太郎東京都知事(80)が国政復帰を目指すなかで気になるのが、中国を「シナ」と呼ぶことだ。中国の反発を意に介せず、最近は挑発するように連発するが、シナはなぜ問題視されるのか。尖閣諸島の国有化で悪化した日中関係が改善しないなか、「排外的ナショナリズム」について考えた』として書いた、表記題名の記事を掲載しました。以下に要点を紹介します。

 シナの語源としては、中国初の統一王朝となった「秦」とする説が有力です。のちに清朝(しんちょう)ができましたが、中華民国建国の父・孫文は、その打倒を目指したことから、中国の呼称に「清」を使わず、「支那」を多用しました。「シナという呼称自体には歴史的な重みがあり、差別的な意味は全くない」(中嶋嶺雄・国際教養大学長、現代中国学)ということです。ただし、日本と中国の間では、次のような経緯があります。

 1912年の中華民国の成立後も日本は新国家を認めることなく、「支那」と呼称することを決定。中国侵略に際して、侮蔑語として使うようになりました。「暴支膺懲」(ぼうしようちょう、暴虐な支那を懲らしめよ)のスローガンも作られ、「軍上層部による中国への蔑視が込められていた」[槻木(つきのき)瑞生・同朋大名誉教授、中国近現代史]ことから、中国側が反感を高めました。

 戦後の1946年、外務省が「中華民国が嫌がり、使用をやめてほしいとの要求があった」として、新聞や雑誌で支那と表記することをやめるよう通達。1949年に中国共産党が中華人民共和国を建国し、次第に使用が控えられるようになりました。

 このような経緯のある呼び名をあえて連発する石原氏は、排外的ナショナリズムの強い人物であることが明らかで、近隣の国ぐにと仲よくして行くべき日本の国政に関わるのにふさわしい人物とは言えないのではないでしょうか(「排外的ナショナリズム」と言う言葉は、見出しにあるだけで、記事の本文中には石原氏と結びつけて使用されていませんが)。

多幡記

2012年11月4日日曜日

9条関連書籍紹介


 読書週間も半ばです。憲法9条関連の良書を紹介します。


孫崎 享(まごさき・うける)著
『不愉快な現実:
中国の大国化、米国の戦略転換』

(講談社、2012年、798円)

 中国の大国化。それと対称的な日本経済の体調。国民のフラストレーションの背景には、こうした「不愉快な現実」が確かにある。だから軍事の供えと日米同盟の教科と言う路線は、最も非現実的で日本孤立化の道だ。元外交官、元防衛大学教授の著者はそう断言し、日米安保にしがみついて思考停止状態の政治に警鐘を鳴らす。憲法9条を基礎にした外交戦略を考える上で参考になる、短いが貴重な一冊。(2012年4月8日付け『しんぶん赤旗』記載の田中靖宏氏の評から抜粋)


内藤 功著、聞き手 中谷雄二、川口 創
『憲法九条裁判闘争史:その意味をどう捉え、どう活かすか』
(かもがわ出版、2012年、3150円)

 最近、憲法9条を改悪する動きや集団的自衛権の講師を容認する流れが高まりを見せています。いまこそ「憲法を武器に」平和を守らなければならない局面にあります。本書には憲法を武器にたたかった砂川事件、恵庭事件、長沼事件、百里基地事件の経験がちりばめられ、憲法という武器の使い方が書かれています。「平和を愛する市民の必読書」です。(2012年11月4日付け『しんぶん赤旗』記載の種田和敏氏の評から抜粋)

文責・多幡

2012年11月2日金曜日

赤川次郎氏の「旗ふる人」批判エッセイ


 『図書』誌に連載の赤川次郎氏のエッセイ「三毛猫ホームズの遠目鏡」は11月号で第5回となります。今回は「愛国の旗」と題されていて、城山三郎の詩「旗」(『支店長の曲り角』講談社、1992年、所収)の冒頭の二行「旗ふるな 旗ふらすな」の引用で始まっています(「旗」の全体はこちらのブログ記事に引用されています)。

 赤川氏は「どんな時、どんな旗であっても、旗を振って人々を煽る人間に対し、どこか『うさんくささ』を感じておられたのだろう。それは城山さんご自身の従軍体験の実感から来たものだったに違いない」と記しています。

 次いで、赤川氏は、以前はなかった、オリンピックで勝者が大きな国旗を身にまとって場内を一周するパフォーマンスを批判しています。元来オリンピックは国境を越えた、個人の競い合い場のはず、というのが批判の根拠です。

 そしてエッセイは、「将来に希望が持てない不満は、しばしば弱者への攻撃、仮想敵への憎悪に向う。そういう社会を作って恥じない人々ほど、二言めには『愛国心』を口にするものだ。日の丸の旗を振るリーダーこそ警戒しなければならない」との結論へ進んで行きます。そこまでの話に挙げられている、「そういう社会を作って恥じない人々」の例は誰々でしょうか。

 「尖閣諸島を巡って、日中の対立が烈し」くなった「そもそものきっかけ」である「唐突な『買収宣言』」をした石原都知事が挙げられています。(石原慎太郎氏は赤川氏がこのエッセイを執筆した当時まだ都知事でしたが、10月25日、都知事を辞職する意向を表明し、それとともに、新党を結成して、国政への復帰を目指す考えを明らかにしました。)

 「中国との緊張を高めることで、米軍、自衛隊の存在意義を強調することを狙ったアメリカの意図[に乗ったもの]ではなかったのか。中国指導部の交替を目前に控えた『最悪のタイミング』。あえてそこを狙ったのでなければ、あまりに不自然である」との、うがった見方が述べられています。(石原氏は以前から、尖閣諸島をタネに中国との緊張を高めようという考えを持っていました。2005年のブログ記事「最初のぼたんを掛け違えている」参照。)

 続く例は、オスプレイの事故についてのアメリカの報告をそのままくり返し、また、自民党政権すらためらって来た「武器輸出三原則」の緩和をやってのけた現政府と、それを望み、利益さえ上がれば、日本製のミサイルや機関銃が罪もない子供を殺りくする光景など気にしないような日本の財界人です。赤川氏の今回のエッセイには登場していませんが、関西にも格好の例がありそうです。

 このように紹介すると、赤川氏のエッセイは暗い話ばかりに満ちているように聞こえるでしょうが、そうではありません。オリンピックの話に続いては、「国旗を身にまとう、という行為に、一度だけ胸打たれたことがある」として、感激的なエピソードを記しています。グルジア出身のバレリーナ、ニーナ・アナニアシヴィリが2010年に「グルジア国立バレエ」を率いてやって来たとき、カーテンコールに現れた彼女がグルジア国旗を身にまとっていたのです。

 バレエ団の来日時に、グルジア大統領サアカシュヴィリが殺されたというニュースが流れ、アナニアシヴィリの夫君は時の外務大臣であり、政権が転覆して親ロシア政権に代れば、夫婦ともども命の危険さえあったのです。幸い、ニュースは誤報だったと分かりました。赤川氏は、「いつ失うかもしれない祖国。その危機感の中、アナニアシヴィリは祖国グルジアへの愛を表現したのだ。オリンピックの TV 向けパフォーマンスとは全く違う、切実で哀しい行動だった」と書いています。

 エッセイの最後には、かつて旧国鉄広尾線の愛国駅・幸福駅間の切符が爆発的に売れたとき、赤川氏が「『幸福』はともかく『愛国』はどうもね」というと、若い女の子が「『愛の国』のどこがいけないの?」と問い返したという話を紹介し、「なるほど、『愛国』が『国を愛する』のでなく『愛の国』である時代、そんな世界が一日も早く来てほしいものだ」と記しています。

多幡記

2012年10月31日水曜日

ニュース「国連が対日人権審査へ:慰安婦、死刑議題に」


 国連人権理事会は10月31日、全ての国連加盟国を対象に人権に関する政策や状況を審査する「普遍的審査」制度に基づく対日作業部会を開きます。各国は日本に対し、死刑制度に対する見解を求めているほか、旧日本軍の従軍慰安婦問題についても、韓国などから提起されるとみられます。ジュネーブ共同のニュースを東京新聞などが伝えています。詳細はこちらをご覧下さい。

 人権問題について、国際的に恥ずかしいような発言を繰り返す政治家を選挙の際に選ばないよう、国民は注意しなければなりません。

多幡記

2012年10月29日月曜日

10.28 本会主催の学習会:写真入り報告


 昨10月28日、堺市立西文化会館セミナー室で開催された本会主催の学習会「戦争と原発—アフガン、シリア、福島の現場から」の模様を、上田孝さん撮影の写真を交えてお知らせします。

 集会は本会世話人・荒川加代子さんの司会で午後2時に始まりました。

 本会代表・多幡達夫が開会の挨拶をしました(挨拶の内容は昨日付けの記事の末尾にあります)。上の写真には、参加者たちが会場一杯に集まった様子も見られます。

 今上さん親子のアコーディオンとリードで、参加者一同が、杉山政美・作詞、小林亜星・作曲の「野に咲く花のように」と小森香子・作詞、大西進・作曲の「青い空は」を元気に歌いました。

 本会世話人・井崎孝子さんが、同世話人・浅井千代子さんの憲法9条の大切さを訴える詩「未来は」を朗読しました。

 フリージャーナリスト・西谷文和さんの、映像を使ってのお話「戦争と原発—アフガン、シリア、福島の現場から」を聞きました。(お話の内容は昨日付けの記事に簡単に記しました。)上の写真は、西谷文和さんがお茶のペットボトルをかざして、「劣化ウラン弾の大きさはこれくらい」と説明しているところです。

 西谷さんのお話のあと、参加者たちから盛んな質問もありました。

 本会事務局長・上田規美子さんが西谷さんへのお礼と学習会のまとめを述べ、「きょう学んだことをご家族やご近所の方々にも伝えて、憲法9条を守る意思を広げて行きましょう」との行動提起をしました。

 集会後、西谷さん持参の著書やCDに人気が集まり、多くの参加者たちが求めました。

 皆さんのご協力でこの学習会が成功したことを感謝いたします。

多幡記

2012年10月28日日曜日

本会学習会「戦争と原発—アフガン、シリア、福島の現場から」盛会


 本日午後、堺市立西文化会館で開催した本会主催の学習会は、会場のセミナールーム一杯の参加者があり、盛会でした。

 お話をお願いしたフリージャーナリスト西谷文和さんの演題は表記の通りでしたが、実際に話された内容には、もう一つ「トオルちゃん」が加わりました。これは橋下大阪市長の率いる維新の会がいかに危険なものかという話で、戦争、原発、「トオルちゃん」に共通する危険は、富裕層とマスコミが一体となってのPRであることを指摘されました。

 西谷さんが先月取材のため訪問したシリアで内線のため急増している難民たちや、それよりも先に訪問したアフガンで劣化ウラン弾による放射線被ばくのため高い割合で生まれている障害児たちの、生々しい映像も見せて貰い、参加者一同、戦争とその背後で金儲けを企んでいる人たちの恐ろしさをひしひしと感じました。

 いずれ、写真を交えた報告を掲載する予定ですが、以下にとりあえず、本会代表・多幡の開会のあいさつを掲載します。

多幡記

 皆さん、こんにちは。心配された雨も晴れ上がり、幸いでした。
私たちの福泉・鳳地域「憲法9条の会」は、2006年に発足し、日本は国際紛争の解決に武力を使わないとしている憲法9条を守り活かそうという活動を続けています。その一環として、毎年1回、講演会あるいは学習会を行なってきました。きょうは、今年のそういう催しとして、西谷文彦さんのお話を中心に開催することになりました。
 領土問題が浮かび上がってきたこともあって、憲法を変えようという動きが強まっています。また、憲法の解釈を変えて、集団的自衛権の行使を認めようという動きもあります。このような情勢の中で、私たちは、どんなことがあっても、戦争を起こしたり、アメリカが起こす戦争に参加したりするような事態を招いてはいけないとの思いで運動を続けています。
 ことしの『防衛白書』は、近隣の国々が軍事力を増強していることを理由に、米軍と自衛隊の「動的防衛協力」という、憲法9条の精神に反する方針について盛んに述べて、「軍事対抗主義」をあらわにしています。近隣の国々が軍事力を増強しているのは、アメリカが核兵器を持っている上に、他の国に対する軍事的干渉をいとわない国であることへの警戒のためなのです。それにもかかわらず、日本がアメリカとの軍事協力を深めれば、日本の安全にとって全く逆効果でしかありません。
 このように見てきますと、日米安全保障条約、略称「安保」があるために、日本は不必要な戦争の準備をしていると思われてなりません。そして、沖縄の米軍基地問題、危険きわまりない輸送機オスプレイの配備、米兵による暴行事件などなど、安保のもたらす弊害が際立ってきているこの頃です。
 また、安保を理由に、アメリカは日本の原発政策にも口出しをしています。昨年の原発事故によって、国民の原発ゼロを願う声が大いに高まりました。平和とは戦争のないことだけでなく、あらゆる危険のないことでもあります。この意味で、憲法9条を守ることは、速やかな原発ゼロを願うことに通じます。
 9条の会の呼びかけ人の一人、大江健三郎さんは、野田政権が一旦発表した 2030年代に原発ゼロをめざす政策を、アメリカと財界の圧力に押されて、あいまいにしてしまったことに対し、この国に民主主義があるのかと批判しています。そして、こういう時に私たちに出来ることは、私たち市民の意思を表明し続けることしかない、と述べています。
 この学習会が、平和を願う私たちの意思を大きく広げて行く一助となれば幸いです。
 以上、開会の挨拶といたします。

2012年10月26日金曜日

「九条の会」メルマガ第151号:地域の九条の会がつくった「平和ガイドブック」


 表記の号が2012年10月25日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。なお、メルマガ読者登録はこちらでできます。

 以下に編集後記を引用して紹介します。

編集後記:
地域の九条の会がつくった「平和ガイドブック」

 講演で招かれて東京・大田九条の会結成7周年記念集会に行ってきた。そこで紹介されたのが、「未来につたえる大田の平和」というガイドブック。東京の大田区という地域に絞って、九条の会がアジア太平洋戦争の住民の経験を克明に調査し、発掘した貴重な記録集。「未来に平和の尊さをつたえるために、九条の会の運動にもってこいの一冊です」と銘打っている。地域の九条の会でこのような活動もできるんだ、と目を開かされる思いがした。A5判104ページ、頒価500円、連絡先03-3736-1141(中川さん)。

2012年10月25日木曜日

「九条の会ニュース」164号発行:9/29「九条の会講演会」講演要旨掲載


 表記のニュースが10月16日付けで発行されました。9月29日に東京で開催された「九条の会講演会」については本ブログサイトでもこちらこちらで簡単に紹介ましたが、同ニュースには、その講演会で呼びかけ人から出された、草の根からの世論をもりあげることの重要性などについての『「九条の会」からの訴え』や、大江健三郎さん、奥平康弘さん、澤地久枝さんの講演のかなり詳しい要旨を含めて、報告されています。こちらでご覧になれます。

「あの日の授業-新しい憲法のはなし-」


 先日、堺市・西区で開催された「歌声喫茶 IN ウェスティ」のレンタル歌集の1冊『うたの世界 2010年版』(ともしび, 2009)を見ていて「あの日の授業-新しい憲法のはなし-」という歌を見つけました。「語り」の部分は1947年、当時の文部省が発行し、52年3月まで使われた教科書『新しい憲法のはなし』中の「六 戦争の放棄」の章から引用されています。

 この歌の歌詞と楽譜を掲載しているウェブページ『うた新「歌の小箱」17』には、フォーク・シンガー笠木透さんが中東湾岸戦争の翌年の1992年にこの歌詞を創作したこと、それは国連のPKO(Peace Keeping Operation)の名のもとに自衛隊海外派兵が立法化されたときで、コンサートの新曲を考えていた笠木さんはこの教科書と、それを教えた先生を思い出したということ、そして、「戦争に負けて突然 "民主主義" "自由" "基本的人権" といった言葉が先生の口から発せられ、めんくらった」、「よく理解はできなかったが、先生が一生懸命だったことだけは覚えている」と述懐していることが記されています。

 ユーチューブに掲載されているこの歌の演奏をお聞き下さい。下に歌詞も掲載しておきます。

多幡記



あの日の授業-新しい憲法のはなし-
笠木 透 作詞、安川 誠 作曲
    
あの日の先生は 輝いて見えた
大きな声で教科書を 読んでくださった
ほとんど何も 分からなかったけれど
心に刻まれた あの日の授業

(語り)
「そこで、今度の憲法では日本の国が、決して二度と戦争をしないようにと、二つのことを決めました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさい持たないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。『放棄』とは『捨ててしまう』ということです。しかし、みなさんは、決して心細く思うことはありません。日本は正しいことを、他の国より先に行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」


あの日の先生は 熱っぽかった 
これだけは決して 忘れてはいかんぞ
あわをふいて ほえたり叫んだり
心に刻まれた その日の授業

(語り)
もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、決して戦争によって、相手を負かして、自分の言いぶんを通そうとしないということを決めたのです。おだやかに相談して、決まりをつけようと云うのです。なぜならば、いくさをしかけることは、結局自分の国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で相手をおどかすようなことは、いっさいしないことに決めたのです。これを戦争の放棄というのです。そうして、よその国となかよくして、世界中の国がよい友達になってくれるようにすれば日本の国は栄えてゆけるのです」


あの日の先生は 涙ぐんでいた
教え子を戦場へ 送ってしまった
自らをせめて おられたのだろう
今ごろ分かった あの日の授業

あの日の先生は 輝いて見えた
大きな声で教科書を 読んでくださった
ほとんど何も 分からなかったけれど
心に刻まれた あの日の授業

2012年10月23日火曜日

10/23 橋下市長に反論! 吉見義明さん語る:「強制連行」はあった


 表記の集会が下記の通り開催されます。
  • と き:10月23日(火)午後6時30分から
  • ところ:エルおおさか 709号室
       地下鉄・京阪「天満橋駅」下車 西へ300 m
  • 資料代:500 円
  • 主 催:日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク
 橋下大阪市長は何度も「『慰安婦』の強制性を示す証拠はない」と繰り返していますが、8月24日の記者会見で、「吉見さんという方ですが、あの方が強制連行の事実までは認められないとか、そういう発言があったりとか」と発言しました。
 吉見さんは、1991年、防衛庁防衛関係図書館で、政府が慰安所の設置、運営に関与していたことを示す資料を発見された方であり、「慰安婦」問題の真実を追究する第一人者です。今回の橋下発言をはじめとした政治家などの歴史わい曲発言に対し、全面的に反論をして下さいます。
 私たちにとっても貴重な学習の機会です。多数ご参加ください。

吉見義明さんプロフィール:
 1945年山口県生まれ、東京大学文学部卒業後、現在中央大学商学部教授。 専攻日本近現代史。主著に『従軍慰安婦』(岩波新書)、『従軍慰安婦資料集』(大槻書店)、『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(岩波ブックレット)など多数

 以上、ブログサイト「【堺からのアピール】教育基本条例を撤回せよ」の記事から紹介しました。

2012年10月21日日曜日

世界に恥ずかしい日本政府:国連委の16カ国声明案「核非合法化」署名を拒否


 ニューヨークで開催中の国連総会第1委員会(軍縮)を舞台に、スイスやノルウェーなど核兵器の非人道性を訴える16カ国が「核兵器を非合法化する努力の強化」を促した声明案を作成し、日本にも署名を打診しましたが、日本政府は拒否を決めました。10月18日付けで東京新聞(記事「日本、核非合法化署名を拒否 国連委の16カ国声明案」)などが伝えています。

 日本は米国の核戦力を含む「抑止力」に国防を依存する政策をとっているため、核の非合法化を目指す声明案に賛同すれば、論理上、政策的に整合性が取れなくなることが理由だということです。「核の傘」への影響を懸念して、非人道性を強調する意見表明に同調しなかったとは、一日も早い核兵器廃絶を願う国内外の多くの人びとの気持を逆なでする、まことに具合の悪い、また、恥ずかしい態度ではありませんか。

多幡記

10/28 本会主催 学習会「戦争と原発—アフガン、シリア、福島の現場から」のお知らせ(再掲載)



戦争と原発
—アフガン、シリア、福島の現場から—

 この学習会の日が一週間後となりました。お話いただく西谷文和さんのご活躍については、昨日の記事にも書いたところです。みなさん、ぜひ声をかけあって、多数ご参加下さい。
  • 日 時  10月28日(日)午後2時~4時
  • 場 所  ウェスティ(堺市立西文化会館、
         地図はこちら
         7 階セミナールーム
  • お 話  西谷 文和さん
         (イラクの子どもを救う会代表)
  • 参加協力券  500円
  • 主 催  福泉・鳳地域「憲法9条の会」
  • 連絡先  TEL・FAX 072-273-5367 上田
 西谷さんは、9.11事件後に始まった「テロとの戦い」以降、イランとアフガンを精力的に取材しておられます。この学習会直前にもシリアへ取材に行かれました。視野の広い、現実を見据えたお話が聞けることと思います。

2012年10月20日土曜日

西谷文和さん(10/28 本会学習会講師)のシリア激戦地訪問、毎日紙が伝える


 来る10月28日に堺市立西文化会館(ウェスティ)で本会主催で開催予定の学習会(こちらに詳細)でお話していただく予定のフリージャーナリスト西谷文和さんが先月、同業の山本美香さんが殺害されたシリア・アレッポに潜入し、取材しました。その模様を10月2日付け毎日新聞大阪夕刊が報じています。その記事はこちらでご覧になれます。

 記事は、西谷さんが「政府軍はジャーナリストを狙い撃ちしているから、アレッポは報道されないが、山本さんが亡くなった時より危ない」と語り、「政府軍は、自由シリア軍の隠れ家がどこかわからないから無差別に空爆する。イラクでもリビアでも、国連が飛行禁止区域を設けたが、シリアには設けられてない。なぜなら、シリアは石油が出ないから。でもこれ以上、子どもや老人が死ぬのを国際社会は黙って見ているのか。国連が積極的に介入すべきだ」と、日本を含めた国際社会に訴えていることを伝えています。また、なぜ危険な所に行くのかとの毎日紙記者の問いに対して、西谷さんは「好奇心。何が起こっているか、自分の目で確かめたい」と答え、11月には9回目のアフガン取材に赴く予定も話しています。


 なお、公務員からフリージャーナリストに転じた西谷さんは、近著『戦火の子どもたちに学んだこと―アフガン、イラクから福島までの取材ノート(13歳からのあなたへ)』(かもがわ出版、1575円;下のイメージはその表紙)において、アフガンやイラクを中心に10年以上にわたる取材で見た戦争の真実や、困難に押しつぶされながらも夢を捨てずに生きようとする子どもたちの姿などを記しています。

多幡記

2012年10月18日木曜日

10/19 大阪で集会「忍び寄る影に抗して~侵略の歴史を繰り返してはならない~」


 表記の集会が下記の要領で行なわれます。
  • 日 時:10月19日(金)PM 6:30~8:45
  • 場 所:エルおおさか南館101号室、地下鉄・京阪天満橋駅下車西へ5分
  • 資料代:800円
  • 主 催:南京大虐殺60ヵ年大阪実行委員会
  • 講 演:「橋下の濁流はどこへ行く? いま問い直
         す、ファシズムの歴史と現在」
         池田浩士さん(京都大学名誉教授)
  • 報 告:日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク
         方 清子(パン・チョンジャ)さん
        リバティ大阪の灯を消すな全国ネット
         太田恭治さん
 池田さんはナチスドイツ、天皇制日本など広義のファシズム社会における表現文化の研究者。著書は、『「海外進出文学」論・序説』(1997)、『火野葦平論―海外進出文学論 〈第1部〉』(2000)、『石炭の文学史―「海外進出文学」論 〈第2部〉』(30年をついやしてこのほど、2012年9月刊行)、『虚構のナチズム―「第三帝国」と表現文化 』(2004) など多数[参考:池田浩士の書籍, アマゾン]。

 (以上、ブログ「【堺からのアピール】教育基本条例を撤回せよ」の記事を参考にしました。)

2012年10月17日水曜日

「原発ゼロの会・大阪」1周年の集いに800人超


 原発ゼロの会・大阪は、さる10月7日午後、大阪市中央区のエルおおさかで「発足1周年記念の集い」を開催しました。府下各地域から会場いっぱいの、800人を超える参加があり、第1部では、主催者あいさつのあと、福島から大阪に避難してきている方の訴えと安斎育郎さんの記念講演「原発ゼロへ:生命とくらしを守るために」がありました。

 第2部では冒頭、Twit No Nukes 大阪有志の代表のあいさつがあり、その後、各地域での原発ゼロをめざす取り組みが "1分間スピーチ15連発" で報告され、さらに原発ゼロの会・大阪からの報告と今後の取り組みの提案、合唱、集会アピールの朗読と続きました。そのあと「集い」参加者は北大江公園に移動し、そこから大阪市役所までパレードを行いました。(以上、原発ゼロの会・大阪のホームページの記事を参考にしました。)

 なお、上記の安斎育郎さんの記念講演の要点が、『日本科学者会議大阪支部ニュース』No. 453 (2012.10.12) に記されていますので、それをもとに、以下に紹介します。

 安斎さんはまず、自分も福島が生まれ故郷であり、5歳まで過ごした土地が目に見えない放射性物質で汚染されたことへの憤りとともに、原子力工学を研究してきた者として、今回の大災害を防止出来なかった悔悟を述べました。

 その上で、放射線は、外部被ばくにせよ、内部被ばくにせよ、あびないに越したことはなく、実効的な対策が急務であると指摘しました。放射線に対しては、「過度に恐れず、事態を侮らず、理性的に怖がる」べきだといわれるが、産地名で恐れず、実態で恐れることの必要性を強調しました。

 次に、原発事故の「理科」は多くの人が知るようになったが、「社会科」も大切だとして、米ソによる核兵器開発競争の愚、原子力の「平和利用」の問題点、「原子力ムラ」形成の過程などを明らかにしました。

 最後に、私たちは「水戸黄門症候群」や「鉄腕アトム症候群」というべき英雄待望論におちいることなく、一人一人が正しい目を開き主権者として行動することが必要と呼びかけました。

多幡記

2012年10月16日火曜日

「さようなら原発集会 in 日比谷」に6500人:「経済でなく人の命・尊厳を最優先に考える政府に変えよう」——高橋哲哉氏


 10月13日、東京・日比谷野外音楽堂で「さようなら原発 in 日比谷」が開催され、約6500人が参加しました。呼びかけ人で作家の大江健三郎さんらの発言の後、銀座方面へ向けてパレードを行いました。(さようなら原発1000万人アクション・ホームページによる。発言録などの詳細は後日掲載とのこと)

 なお、『しんぶん赤旗』は14日付けでこの集会を報道しており、こちらでご覧になれます。東京大学大学院の高橋哲哉教授が、大飯原発再稼働の強行など、国民多数の原発ゼロの意思を無視してきた政府を批判し、「経済でなく人の命や尊厳を最優先に考える政府になるよう変えましょう」と語ったことなどを紹介しています。

2012年10月14日日曜日

赤川氏の橋下市長批判は続く


 先に『図書』誌 2012年10月号掲載の赤川次郎氏のエッセイ「三毛猫ホームズの遠眼鏡 4:フクシマの壁」から、原発についての言葉を紹介しました(こちら)が、そのあとには橋下大阪市長を批判する文が、1ページ近くにわたって述べられています。氏がこの連載エッセイ「三毛猫ホームズの遠眼鏡」の中に橋下市長批判を記すのは前々回あたりから続いており、その都度、このブログで紹介して来ました(こちらこちら)。10月号での批判も、ここにその一部を紹介しておきたいと思います。

 以下の文は、先に紹介した「反原発の運動は、人間の『生きる権利』の主張から発している」という文に続けて、巧みに橋下市長の「大阪人権博物館」に対する姿勢について述べているものです。
 一度は「原発再稼働反対」のポーズを作って見せた大阪の橋下市長だが、国内唯一の人権に関する博物館「大阪人権博物館」を、補助金を打ち切ることで閉館に追い込もうとしている。「被差別部落」の問題から、アイヌ、在日、ハンセン病まで、差別の歴史を展示した博物館である。
 過去の誤ちの正体を見据えなければ、未来への展望は拓けない。橋下市長にとって、しょせん「人権」とは邪魔なものでしかないのだろう。
 このような人権軽視あるいは人権無視の政治家(というに値しませんが)をのさばらせてはなりません。

 なお、大阪人権博物館(リバティおおさか)のホームページはこちらにあり、目下「全国の皆さんへのアピール:リバティおおさかの運営継続と発展のため、皆さんに支援を訴えます」が掲載されています。

多幡記

2012年10月12日金曜日

「九条の会」メルマガ第150号:九条の会講演会の成功、憲法をめぐる情勢が大きく動いている


 表記の号が2012年10月10日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。なお、メルマガ読者登録はこちらでできます。

 以下に編集後記を引用して紹介します。

編集後記~九条の会講演会の成功
 三木睦子さんの志を受けついで「九条の会講演会――今、民主主義が試されるとき――」は皆さまのご 協力により、全国各地から1800名の参加を得て成功を収めました。大江さん、奥平さん、澤地さんの講演要旨は近く発行される予定の「九条の会ニュース」に掲載します。講演全体も何らかの形で出版となるよう努力するつもりです。しばらくお待ち下さい。
 憲法をめぐる情勢が大きく動いております。大小の学習会を積み重ね、九条の会運動の活発な前進を実現したいものです。

2012年10月9日火曜日

手をつないで原発ゼロへ



上・荒川加代子(本会世話人)
『憲法九条だより』第18号から


◇   ◇   ◇

 先に「世界平和アピール七人委員会が『原発ゼロ以外にない』の声明」という記事を載せましたが、そのときはまだ、七人委員会のウェブサイトにその声明文が掲載されていませんでした。その後、こちらに掲載されましたので、お知らせします。声明の題名は、「原発ゼロを決めて、安心・安全な世界を目指す以外の道はない」、発表の日付けは 2012年9月11日です。

◇   ◇   ◇

 今年のノーベル文学賞受賞者発表の日が近づき、村上春樹さんが話題に上っています。彼が2011年6月11日にバルセロナで行なったスピーチから、原発についての発言の一部を引用しておきます。
 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

11/26 堺:青年劇場公演「普天間」のお知らせ



沖縄「復帰」40年 いよいよ全国公演に!

秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場公演

普天間

坂手洋二=作・藤井ごう=演出
出演:上甲まち子・青木力弥・葛西和雄・藤木久美子
高安美子・吉村直・ほか
  • 日 時:2012年11月26日(月)午後6時30分開演
        (開場は午後6時)
  • 場 所:堺市民会館大ホール
  • 前 売:一般 4000円(当日4500円)
        学生・20歳以下・障がい者 2000円
        (当日2500円)
  • 主 催:「普天間」上演堺実行委員会
  • 連絡先:TEL 090-6975-5916(堺市民懇 鬼頭)
        FAX 072-223-6115(堺市教職員組合内)
  • 後 援:沖縄タイムス社・琉球新報社・ほか多数

沖縄戦。
アメリカ占領下の
米軍による事件、事故。
返還後の日本政府のアメとムチ。
そのたびに沖縄の人々は集まり、
抗議してきたが、
基地はそこにあり続けた。

今日も早朝からヘリと戦闘機の
轟音に包まれて
戦争と基地への記憶が交錯する。

沖縄三部作に続いて坂手洋二が、
青年劇場とともに
普天間を舞台に新たに沖縄の心に挑む!

2012年10月8日月曜日

10/28 学習会(本会主催)「戦争と原発—アフガン、シリア、福島の現場から」のお知らせ



戦争と原発
—アフガン、シリア、福島の現場から—
  • 日 時  10月28日(日)午後2時~4時
  • 場 所  ウェスティ(堺市立西文化会館)
    7 階セミナールーム
  • お 話  西谷 文和さん
    (イラクの子どもを救う会代表)
  • 参加協力券  500円
  • 主 催  福泉・鳳地域「憲法9条の会」
  • 連絡先  TEL・FAX 072-273-5367 上田

 西谷さんは、9.11事件後に始まった「テロとの戦い」以降イランとアフガンを精力的に取材。この学習会直前にもシリアへ取材に行かれました。視野の広い、現実を見据えたお話が聞けることと思います。

 ぜひ、みなさん声をかけあって、ご参加下さい。

2012年10月7日日曜日

戦争体験を語る:上・三池尚道さん(その2)


三池さん(初回の記事はここをクリック

戸田基地

 「丸大」とは海軍独特の名前で、いわゆる敵船に魚雷を抱いて体当たりする一人乗りの人間魚雷艇のことでした。空の特攻隊に対して海の特攻隊です。もはや飛行機がないために考えられたことだったと思いました。三十から四十機あったと思います。

丸大:体当たり自爆用なので、帰還するための脚や車輪など降着装置はない。部署によっては桜花と呼ばれていた。(東海大学・鳥飼行博研究室ウェブページから)

 基地は早稲田大学水路部所有の学校のような建物を借りており、ハンモックで寝ました。ビンタやバッタは土浦や岡崎ほどではなかったが、相変わらずここでもやられていました。

 同じ部隊に、赤紙で召集された私たちの親みたいな年寄りの初年兵がいました。私たちは当時伍長で、階級は上でしたから、出会うと敬礼してくれましたが、「そんなんせんでかまへんかまへん」と言ってやりました。申し合わせたことはなかったけど、同期の誰もが叩いたりは絶対にせず、やさしく接していました。年寄りの初年兵も叩かれることを覚悟して来ていたようで、喜んでいました。

 辺ぴな漁師町の戸田に来てからは都市のようなB29による空襲はなかったが、グラマン戦闘機の機銃掃射は一層激しくなりました。ある日かつお船を狙って急降下爆撃し次つぎと船を沈めたとき、漁師さんを助けに向かったこともありました。

 また同期生が外で作業をしているとき、三人撃たれて死にました。一人は弾は首の後ろからお尻まで縦貫し即死でした。弾が出たお尻には大きな穴が開いているのを近くで見てしまいました。終戦がもう半年か一年遅かったら、私も命は無かったと思います。訓練は毎日でしたが、結局終戦まで戸田基地から丸大に乗船して敵船に突撃したこと一回もありませんでした。

敗戦

 八月十五日は、普段と同じように訓練をしていました。玉音放送(天皇肉声の放送)があることも知らされていませんでした。

 この日、将校十三人全員が突如いなくなりました。翌日になっても姿が見えません。「おかしいな?」と話し合ってたのだが実は、敗戦を知り、部下から逃げるようにこっそり姿を消したのです。何とも卑怯で抜け目ないですね。まじめに一生懸命やってる兵隊はかわいそうなもんですね。寒い冬でも将校達は命令して見ているだけで、部下にはふんどし一丁で海に入らせたり上がらせたり、また入らせたり上がらせたり…。「いままでさんざん痛めつけておいて、見つけたら叩き殺してやる!」と怒っている人もいました。

 私たちが知ったのは、二日後の十七日です。漁師の奥さんがサクランボをとりに基地の中に入ってきて話したとき、「あんたら知らんのかいな! 日本は戦争に負けたよ!」と聞きました。その時はなぜか「よかった」とか「助かった」というような気持ちは湧かず、「しゃーないな。荷物はあるしどうして大阪の家に帰ろうか…」と、そのことばかり考えていたように思います。

 他の若い者も同じようでしたが、年寄りの兵隊だけは喜んでいましたね。待っている家族のことなどがあったんでしょうかね。

家族のもとへ

数日後土地の人からリヤカーをもらって荷物を積み、四人で沼津駅まで二十キロほどを歩きました。終戦の混乱で汽車は切符も買わずに乗れました。有蓋貨車に乗り込み大阪に向かいましたが、将校連中がたくさん乗っていました。

 当時家族の住んでいた岸和田に帰って数カ月してから、やっと「戦争がおわってよかった!」と、じわっとうれしく感じるようになりました。戦争嫌いだったのになぜなんでしょうかね? 自分でもよくわかりません…。

戦争責任

 戦後になって天皇が戦争責任はなかったと聞き、「これは世の中おかしいと違うか!」と、天皇の命令に従って戦争してきた者として理屈でなく純粋にそう考えるようになりました。

 いっしょに働いていた労働組合の人が「天皇が戦争責任がないなんて、そんなバカなことがあるかい!」と怒っているのを聞き、「ぼくと同じことを考えているんだ」と、うれしく感じたことも覚えています。

 「天皇陛下万歳と言って死ね」という教育ばかりを受け、「米英両国と戦争状態に入れり」と言ったのも天皇だし、「どんな辛抱してでも頑張らないといけない」と言ったのも天皇だし、戦死した二人の兄に赤紙をよこしたのも天皇だし、ビンタやバッタがやられたのも天皇の名のもとであり、それなのに何で責任がないのか腹が立って仕方がなかったです。

 この話は子にも孫にも何度となく話しており、よく分かってくれています。(次号に続く)

『憲法九条だより』第18号(2012年9月30日)から

2012年10月6日土曜日

オスプレイ配備よりも、国民の命を守ってください

上・井﨑孝子(本会世話人)


 今年は沖縄「復帰」40年。米軍基地はなくなるどころか、米兵・米軍による事件が繰り返されています。そこに突きつけられたのが、墜落死亡事故を繰り返すオスプレイの配備です。

 沖縄では全市町村議会で配備反対決議が上がり、9月の県民集会には息子家族と嫁のおかあさんも参加しました。まだ小さい孫たちに「県民集会どうだった?」と聞くと、「楽しかった!」といっていますが、県民のみなさんの熱気を感じてそう表現したのでしょう。

 孫たちが住む那覇の空を危険な折りたたみ飛行機オスプレイが飛ぶことを絶対許すことが出来ません。

 普天間基地がある宜野湾市をご存じでしょうか? 堺東ぐらい家いえが密集して立つ都会です。フェンスのとなりに小学校や大学があります。

 それはそうでしょう。本土の基地の成り立ちとちがって、沖縄の基地は本土を守るための捨て石としてアメリカに渡され、アメリカから銃剣とブルドーザーによって奪い取られてできた基地なのですから。

 わずかながら返還された基地跡の土地は、いま大きな商業都市になって、基地があったときよりずっと多くの働く場所があり、生き生きしています。沖縄に基地がなかったら、経済も雇用も文化もどんなに発展するだろうと、悔しくてなりません。

 孫たちの命を脅かすオスプレイ配備に断固反対します。

『憲法九条だより』第18号(2012年9月30日)から

2012年10月5日金曜日

原水爆禁止世界大会に参加して:憲法九条だより18号から



 本会の機関紙『憲法九条だより』18号が、9月30日付けで発行されました。発刊以来編集を担当してきた小倉さんに代って、本号から井崎さんが担当することになりました。

 上掲の写真で、上部の2枚は17号1面と16号2面、下部の2枚が今回発行の18号1、2面です。新しい編集では、記事本文に本式の新聞に使われているようなやや横長のフォントを使い、1段の字数も少なくして、女性担当者らしいソフトな感じの紙面になりました。

 同機関紙に掲載した記事は、従来通り、このブログ・サイトでも順次紹介します。その際には、文章にうるさいブログ担当者が、さらなる読みやすさを考慮して、機関紙に掲載の文に多少手を加える場合があります。

多幡記


原水爆禁止世界大会に参加して
耳原鳳クリニック運動トレーナー・本部勇地

 原水爆禁止2012年世界大会に参加しました。大会には福島県浪江町長も初めて参加して、「自らの利権を得るための核開発・製造を放棄し、自然エネルギー普及を実践。喜びを分かち合える世界の実現へ心ある人たちと連携し、これからも長い厳しい道のりを歩んでいく」と挨拶をされました。また、福島県の高校生の「私たちの未来に核兵器も原発もいらない」と声を震わせながらのスピーチもあり、強く心を動かされました。

 核はひとたび事故が起こると取り返しのつかない状態になるため、原発ゼロは原爆ゼロに向かう大きな問題だと認識させられました。原爆の悲惨さを経験した、世界でただ一つの国である日本は、今も20万人を超える被爆者が心と体の傷に苦しみながら、核兵器の廃絶を訴えています。一人ひとりの市民が、被爆者とともに声を上げ、草の根の運動をし続けることが必要だと感じます。

 そして被爆者の高齢化が進む中、核兵器のない世界を一人でも多くの被爆者の方と迎えられるように、核兵器廃絶を実現し、被爆者の生の声を聞けるぼくらのような若い世代が、未来をになう世代の子どもたちにも伝えていかなければならないと思いました。そして、この気持ちをこれからも忘れることなく持ち続けていこうと思いました。

2012年10月4日木曜日

九条の会講演会での大江健三郎氏の話


 既報の九条の会講演会「三木睦子さんの志を受け継いで—今、民主主義が試されるとき」で、作家の大江健三郎さん、憲法研究者の奥平康弘さん、作家の澤地久枝さんが話された内容のやや詳しい報告が、さる10月2日付け『しんぶん赤旗』に掲載されました。残念ながら、同紙のオンライン版には掲載されていませんので、ここに大江さんの分を引用させて貰います。

憲法9条を世界に向けて守り抜く
 この国は民主主義の国でしょうか?

 原発事故で現在も16万人の方たちが避難しています。政府が行なった市民の意見聴取会は「原発ゼロ」が圧倒的に多かったのです。原発廃止を考えている人たちの集まりは十数万人の大集会を開くことも出来ました。ここに希望があります。

 ところが、政府が「原発稼働ゼロ」の方針を発表した2日目から、これに反対する動きが公然と強力に起こりました。一つはアメリカでした。国内では経済界が一斉に反対しました。日本経団連会長が首相に電話で「承服しかねる」と言いました。これが日本なんです。野田政権は閣議決定せず、政府声明として言うことはありませんでした。そのまま次の政府を担当しようとしています。それは民主主義でないと私は思います。

 沖縄のオスプレイについて考える人たちと、原発再稼働反対の大きい運動は二つとも実は憲法にかかわっています。憲法9条を世界に向って守り抜く、あらゆる国に対して「守るよ」と示すことが、今の日本の民主主義にとって、最も重要なことです。

 上記の引用に当たっては、文体の統一などの変更をしました。

 なお、米軍機オスプレイ配備が憲法9条の精神に反することは分かりやすいですが、原発再稼働反対が憲法にかかわっているということを、皆さんは理解出来たでしょうか。一つには、大事故の危険に脅かされながら暮らさなければならないことは、憲法25条に「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めている権利を奪われることになる、というかかわりでしょう。

 もう一つは、日本国憲法が前文において、「日本国民は、恒久の平和を念願し」とうたっていることにかかわっていると思います。平和とは戦争がないことだけでなく、あらゆる不安や恐怖から解放されて暮らせる状態なのです。「平和学」は近年、戦争のような「直接的暴力」だけでなく、貧困、抑圧、差別などの「構造的暴力」も問題にするようになっています。日本の住民の一部の人たちが原発事故の恐怖にさらされながら生きなければならないのは、差別であり、抑圧であるでしょう。また、原発の運転は、被曝の危険の大きい保守点検業務下請けの労働者たちにも、差別と抑圧を強いて来ているのです。

多幡記

2012年10月3日水曜日

池澤夏樹氏が石原慎太郎氏に一刺し:領土問題


 『朝日新聞』夕刊に池澤夏樹氏が連載しているエッセイ「終りと始まり」の10月2日の分は「資本主義が帰ってくる:復旧と復興の違い」と題して書かれている。——震災からの復旧段階では私利を離れての行動が見られたが、それが一段落して復興の段階になると、私利の原理が戻って来る。それを非難するよりも、人間の中にある私利を離れて公共を考える資質を助長することが大切である——という主旨の文である。

 最後にいまの領土問題に話が及んで、次のように記されている。
 私利と言えば、震災の後で石原慎太郎氏が「これは天罰だ。日本人は我欲を捨てなければならない」と言った。天罰にしては分配が不公平だと憤慨したが、しかし我欲を抑えなければならないというのはそのとおりだ。
 しかして石原氏が火を点(つ)けた昨今の領土問題だ。竹島=独島も尖閣諸島=魚釣島も、実のところ国家の我欲そのものではないのか?
 仲よくしている方がお互いずっと利があるのに、不幸なことである。
この池澤氏の指摘を除いて、発端を作った石原氏への非難がほとんど聞かれないのは、どうしたことか。

多幡記

2012年10月2日火曜日

原発ゼロへの作家たちの貴重な言葉



 『図書』誌に連載の大江健三郎氏のコラム「親密な手紙」10月号分は「キツネの教え」という題である。末尾の一節は次の通り。
 そして私は原発を全廃しようという市民運動の一員となって、集会の一つで、「次の世代がこの世界に生きうることを妨害しない、という本質的なもののモラル」こそいま大切だ、と語った。それは老齢の作家ミラン・クンデラが、la morale de l'essentiel という一句を文学表現の最終の到達点におくと、説き続けているのに共感しながらのことなのだ。[引用者注:下線の個所は原文では傍点付き]
 文中のフランス語は「本質的なもののモラル」を意味する。この文が「キツネの教え」と題されているのは、大江氏が三十代の頃から贈られ続けている京都大学フランス文学研究室の雑誌『流域』の近刊号に「『星の王子さま』のタイプ原稿」と言う記事があり、王子さまと別れて行くキツネが教えるくだりに関わる l'essentiel の語が、氏のこのところの特別な思いと重なる、というところから来ている。

 同じ『図書』誌10月号の赤川次郎氏のエッセイ「三毛猫ホームズの遠眼鏡 4: フクシマの壁」には、次の文がある。
 原発ゼロの社会を「現実的でない」と言う人々がいる。しかし、人の住むことの出来なくなった家々が荒れ果てていく現実以上の、どんな悲しい「現実」があるというのか?
 反原発の運動は、人間の「生きる権利」の主張から発している。
 このエッセイが「フクシマの壁」と題されているのは、これに先立つ次の箇所から来ている。
 しかも、ベルリンの壁は一九八九年、人の手によって破壊されたが、放射能の壁は人間の意思など無視して、一体いつなくなるものか、想像もつかない。
 再び大地震が日本を襲って、原発が崩壊すれば、第二、第三の「フクシマの壁」が、この狭い国土を寸断するかもしれないのだ。その時、私たちはその壁を「東西冷戦のせい」にはできない。自らが招いた悲惨としか言えないのである。
 原発ゼロに反対する財界の発言とそれを受けて迷走する現政権の姿勢は、いずれも「本質的なもののモラル」に欠け、人間の「生きる権利」の叫びに耳を傾けようとしないものと言わなければならない。

多幡記

2012年10月1日月曜日

[動画]オスプレイ 過去の事故


 アメリカ軍は危険きわまりない米軍垂直離着陸輸送機MV22オスプレイを、きょう10月1日、一時的な駐機先の山口県の岩国基地から、配備先とする沖縄の普天間基地に向けて飛行させることにしています。その問題点にふれた表記の動画をこちらでご覧になれます。

 沖縄県警は昨9月30日、米軍普天間飛行場の各ゲート前でオスプレイ配備に反対して座り込む市民らを強制的に排除し、ゲートを封鎖していた住民らの車を移動させました。100人以上の警察官が出動し、市民らの両手両足を抱えるなどして敷地外に連れ出し、男性3人が救急車で搬送される事態となりました(毎日新聞の記事「オスプレイ:普天間抗議市民を強制排除…1日配備を前に」から)。

2012年9月30日日曜日

九条の会講演会「三木睦子さんの志を受け継いで―今、民主主義が試されるとき」盛会


 表記の講演会が29日、東京の日比谷公会堂で開催され、全国各地から1800人が参加する盛会でした。

 自民党が憲法改悪と集団的自衛権の行使を公言する安倍晋三元首相を総裁に再選し、改憲を公然と掲げる「日本維新の会」との連携の動きを示す中、参加者からは「危機感をもってやってきた」という声が相次ぎました。

 呼びかけ人で作家の大江健三郎さんは、「この国は民主主義の国だろうか?」と問いかけ、原発再稼働ゼロを「承服しかねる」とした日本経団連会長の発言に左右される政府を批判しました。そして、「沖縄のオスプレイについて考える人たち、原発再稼働反対の大きい運動は、二つとも憲法にかかわっている。憲法9条を世界に向かって守りぬく、アメリカに向かって守りぬくことが、今の日本の民主主義にとってもっとも重要なことだ」と述べました。

 他に憲法研究者の奥平康弘さん、作家の澤地久枝さん、参加者の言葉も含めて、赤旗紙の記事が紹介しています。

早くも信頼出来ない原子力規制委


 今月発足した原子力規制委員会(田中俊一委員長)が、25日、共産党の機関紙『しんぶん赤旗』記者の記者会見への参加を「特定の主義主張を持った機関の機関紙はご遠慮いただく」との理由で認めなかったばかりか、同紙の抗議に対して、「特定の主義主張」は撤回しながらも、「政党機関紙だからダメ」、「会見室のスペースのため」など、排除理由を変えて、あくまでも排除する姿勢です(関連の『東京新聞』記事がこちらに全文引用されています。最新の『しんぶん赤旗』記事はこちら)。

 規制委と規制庁は19日の発足に合わせ、「透明性の確保」を運営方針とする一方、会見に参加できる報道機関を、一般紙や放送局などの記者と、これらの媒体に記事を提供するフリー記者などに限るという内規を定めていたということで(『朝日新聞』記事)、すでに内部矛盾が露呈しています。さらにこれは、憲法第21条にある検閲の禁止、あるいは出版その他一切の表現の自由に背く疑いのあることを持ち出すまでもなく、規制委にとって手近な規制委員会設置法第25条「国民の知る権利の保障に資するため、その保有する情報の公開を徹底することにより、その運営の透明性を確保しなければならない」、原子力基本法第2条の定める、原子力開発利用に関する民主・自主・公開の平和利用3原則に照らしても全く不都合な姿勢といわなければなりません。

 また、電源開発(Jパワー)は28日、中断している大間原発(青森県)の建設工事を、政府が着工済みの原発の建設継続を容認したことを受けて、年内にも再開する方針を固めました。政府(経済産業省など)は新増設の判断も原子力規制委員会に丸投げしようとしましたが、規制委は「政府の仕事」とボールを返したということです(『東京新聞』記事)。同原発について田中委員長は、当然ながら、今後新たに作る安全基準で改めて審査する考えを示しましたが、関連して「新たな基準での審査が終わるまで工事の再開を待つほうがむだはないと思うが、事業者の判断であり、待ちなさいということはない」いう認識を示していたということです(これを伝える NHK ニュースがこちらに引用されています)。これらの事態は、判断主体を尊重した一見合理的な考えに基づくもののようでありながら、国民の目から見て疑問の残る状況といわなければなりません。赤旗記者の閉め出しと併せて考えれば、原発事業者に甘く、国民の目からは隠すという従来の原子力行政に輪をかけた態度ではないでしょうか。

 追記:次の関連記事もご覧下さい。 後日の追記:さる10月2日、原子力規制委員会は、世論の力で「排除」を撤回し、『しんぶん赤旗』の記者会見参加を認めました。詳しい報道はこちらにあります。

多幡記

2012年9月29日土曜日

新党「日本維新の会」は弱肉強食路線


 橋下大阪市長が率いる「日本維新の会」は9月28日、政党設立の届け出を大阪府選挙管理委員会を通じて総務相に提出し、受理されました。

 これより先の9月12日に「日本維新の会」が結成宣言をした翌日、東京新聞は「『日本維新の会』結成宣言:弱肉強食路線が鮮明」と題する記事を掲載しました。

 その記事は、「日本維新の会」が「社会像ではあらゆる面で『自立』を求め、弱者への公的支援は絞り込みたいという考えが見える」、会の方針である「維新八策」には「社会保障では給付の効率化、生活保護の支給基準や公的保険の適用範囲の見直しを公約。競争力強化のために徹底した規制改革を目指し『解雇規制の緩和』も掲げる」、「ある民主党議員は『維新は小泉政権以上の新自由主義だ』と、弱肉強食路線の再来だと批判する」などの点を挙げ、「経済弱者に目を向けた政策はほとんどない」と強く批判しています。うがった見方です。

 憲法9条を敵視する橋下氏の率いる新党は、多数国民にとって敵以外の何ものでもありません。

多幡記

2012年9月28日金曜日

右傾化、極右化、極々右化


 アメリカの有力紙『ワシントン・ポスト』は、さる9月21日、"With China's rise, Japan shifts to the right (中国の成長とともに、日本は右傾化している)" と題する記事を掲載しました。『しんぶん赤旗』が、その要点を紹介する記事を掲載しています。(なお、両記事を合わせて、こちらでご覧になることも出来ます。)

 しかし、わが国の右傾化は「九条の会」の創設者の一人、故・加藤周一がすでに1980年に指摘していたことです。加藤は『朝日新聞』に「山中人閒話」と題して評論を書き始めた第2回に、「日米保守化のこと」と題して次の通り記しているのです。
 日本の場合には、…中略…[一九]四五年以後には、緩慢に、なしくずしに、坂を滑り落ちるように、保守化または右翼化が進行して、今日に至った。…中略…今日の日本の保守化は、振子運動の一時期を示すのではなく、ゆるやかに、しかし止めどなく、滑り落ちる過程の一時期を示す。(福武書店1983年発行の単行本『山中人閒話』p. 14)
慧眼というほかありません。加藤のこの指摘に従えば、最近の日本の傾向は、右傾化というより、極右化というべきだと思っていた矢先、自民党総裁に安倍元首相が選出されたことによって、外国のメディアがそれを極右化の言葉を使って報道する事態となりました。私にいわせれば極々右化です。極々右人物を首相にならせて、九条改悪を許すようなことがあってはなりません。

多幡記

2012年9月26日水曜日

原子力規制委が取材規制


 原子力規制委員会が毎週1回開く委員会終了後の記者会見について、同委員会の実務を担当する原子力規制庁の広報担当者は「特定の主義主張を持つ機関の機関紙はご遠慮いただく」という方針を25日、明らかにしました。さらにフリーランスの記者についても「どういった雑誌に、どういった記事を書いているかを見て、特定の主義主張を持って書かれている方はご遠慮いただいています」との対応をしていることも明言しました。これまで、内閣府原子力安全委員会後の委員長らの記者会見で、こうした対応はされていませんでした。『しんぶん赤旗』の9月26日付け記事が報じています。

 このような原子力規制委の対応は、これまで以上に透明性の必要とされる原子力行政において、国民の期待に逆行するばかりでなく、憲法第21条にある検閲の禁止、あるいは出版その他一切の表現の自由に背く疑いのある姿勢ではありませんか。

多幡記

2012年9月25日火曜日

「九条の会」メルマガ第149号:国際紛争と「あたらしい憲法のはなし」


 表記の号が2012年9月25日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。なお、メルマガ読者登録はこちらでできます。

 トップ記事は "「三木睦子さんの志を受けついで「九条の会講演会――今、民主主義が試されるとき―― [9/29 日比谷公会堂]」当日券あります" です。できるだけ多く参加しましょう。

 以下に編集後記を引用して紹介します。

編集後記~国際紛争と『あたらしい憲法のはなし』
 「領土問題」が緊迫するなか、1947年に文部省が発行した『あたらしい憲法のはなし』が解説したことは教訓にみちていますね。

 「よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。」



 なお、『あたらしい憲法のはなし』は、童話屋からの復刊版(77ページ、300円)が2001年に発行されています。また、同じく日本国憲法が施行された直後に文部省から出版された社会科教科書『民主主義』(1948〜49年刊) との合本の形式で、『あたらしい憲法のはなし・民主主義―文部省著作教科書』(展望社、2004) (小森陽一さんの前文付き、254ページ、1,500円) も発行されています。

2012年9月24日月曜日

橋下市長発言への反対集会:元慰安婦「私が証人」と訴える


 9月23日付け東京新聞の記事によれば、橋下大阪市長が第2次世界大戦中の従軍慰安婦問題について「日本と韓国で証拠の有無について論戦すべきだ」と発言したことを受けて、大阪市内で23日、反対集会が開かれ、韓国から来日した元慰安婦の金福童さんが「ここにいる私が証人だ」と訴えたということです。

 集会は市民団体「日本軍『慰安婦』問題・関西ネットワーク」が主催し、400人以上が参加しました。金さんは、14歳のとき村の班長と「軍服のような服」を着た男に「軍服工場で働きなさい。そうしないと財産が没収される」と言われたとも述べたそうです。

2012年9月17日月曜日

『「日本維新の会」結成:「古い政治」を強権的に、解雇規制緩和・軍事力強化・TPP「参加」…』


 さる9月12日、橋下大阪市長が率いる「大阪維新の会」が大阪市内で政治資金パーティーを開き、7人の国会議員を集めて急造した「日本維新の会」の結成を宣言しました。同党が「綱領」と位置付ける「維新八策」の中身はどうでしょうか。

 13日付け『しんぶん赤旗』の記事が、「日本維新の会」の会の危険な政策を分かりやすく解説しています。こちらまたはこちらでご覧になれます。

2012年9月16日日曜日

9/17 フォーラム「堺市の未来と大阪都構想」vol. 4



 9月17日(月・祝)、「堺市の未来と大阪都構想」と題したフォーラムの第4回目が開催されます。

 今回は、内閣府元参与・反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠氏をメインゲストに迎え、「閉塞感が深まる日本社会において、大阪を取り巻く現状は何を示すのか?」、「国政を巻き込んだ大阪都構想とその中で、堺市の進むべき道とは?」などについてです。堺市に生きる地域の方々とのパネルトークもあります。

 堺市民かどうかに関係なく、広い範囲での参加が望まれています。

【日時】 9月17日(月・祝)13:30〜
【場所】 堺市民会館 4F大集会室
  大阪府堺市堺区翁橋町2丁1-1
  TEL 072-238-1481
【参加費】無料
【プログラム】
 13:40 森 裕之 氏「大阪都構想と堺市」
 14:00 地域のくらしからパネルトーク
 14:40 生田 武志 氏「子どもの家事業と西成特区構想」
 15:00 湯浅 誠 氏「グレートリセットと日本社会」
 16:00 フロア発言
 16:30 終了
【主催】 大阪都構想から堺市を守る自由と自治・堺の会
  TEL-FAX 072-242-8892

2012年9月14日金曜日

アジア女性資料センターが『日本軍「慰安婦」問題に関するアピール』


 アジア女性資料センターが9月6日付けで、『日本軍「慰安婦」問題に関するアピール:政治家による「強制」否定と「河野談話」見直しの主張に対して』を発表しました。アピールへの団体または個人からのメールによる賛同を募集しています。こちらのアピール文の下に、賛同メールの宛先が書いてあります。

2012年9月13日木曜日

世界平和アピール七人委員会が「原発ゼロ以外にない」の声明


 物理学者・湯川秀樹氏らによって1995年に結成された「世界平和アピール七人委員会」はさる9月11日、「原発ゼロを決めて、安心・安全な世界を目指す以外の道はない」との声明を発表しました。

 声明は、全国の世論が明らかに原発の廃炉に傾いていると指摘し、政府に対して「全ての原発の廃止を、あいまいさを残さずに期限を示して決定しなければならない」と力説しています。(以上、9月12日付け『しんぶん赤旗』の記事を参考にしました。)

 現在の七人委員会のメンバーは、武者小路公秀、土山秀夫、大石芳野、池田香代子、小沼通二、池内了、辻井喬の各氏です。

 なお、上記の声明はいずれ、七人委員会のウェブサイトに掲載されるはずです。同サイトには目下、『科学』誌 9月号掲載予定の論文『疑惑の原子力基本法:「我が国の安全保障に資する」のたどる道』と『科学・社会・人間』誌 121号(2012年7月号)掲載の論文『原子力基本法の基本方針に、「我が国の安全保障に資する」という表現が加わった。これからどうするか』が掲載されています。

多幡記

2012年9月11日火曜日

『維新八策』最終案への鋭い論評


 ブログ『【堺からのアピール】教育基本条例を撤回せよ』に、9月10日付けで、同事務局の前田純一氏が「『維新八策』最終案を批判する」と題する論評を掲載しています。

 「『綱領みたいなもの』というが『見出し』だけ」「極右・急進的新自由主義回帰」「競争と自立の大賛美」「首切りと社会保障解体」「究極の大衆増税」「『グローバル人材育成』のための教育改革」「強圧的公務員バッシングの全国化」「日米同盟基軸」「改憲への突破口作り」の各項目からなる詳細で鋭い分析です。こちらでぜひお読み下さい。

 「改憲への突破口作り」の項には、次の記述があります。
極めつきが「憲法改正発議要件(九六条)を三分の二から二分の一に」だ。安倍も熱心だから政治日程に上る可能性がある。この改憲の先は「憲法九条を変えるか否かの国民投票」。『維新八策』が、九条改憲をあからさまに書かないのは全くの偽装でしかない。
このことだけを見ても、私たちは維新の会の国政進出を決して許してはなりません。

多幡記

2012年9月10日月曜日

「9・16 橋下打倒集会」のお知らせ


  • 日 時:9月16日(日)午後2時開会
  • 場 所:大阪中之島公園・女神像前
    (大阪市役所南側、
    地下鉄・京阪「淀屋橋」徒歩5分)
    集会後、御堂筋デモが行なわれます
  • 主 催:9・16 集会実行委員会
上掲チラシの拡大版はこちら
実行委からのメッセージ「橋下と闘う大阪の地から新自由主義と対決する労働運動を」がこちらにあります。

2012年9月8日土曜日

「九条の会」メルマガ第148号:この秋、改憲派の蠢動を許すわけにはいかない


 表記の号が2012年9月10日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。なお、メルマガ読者登録はこちらでできます。

 トップ記事は "「三木睦子さんの志を受けついで「九条の会講演会――今、民主主義が試されるとき―― [9/29 日比谷公会堂]」参加受付締切の14日まで、あと数日となりました" です。できるだけ多く参加しましょう。

 以下に編集後記を引用して紹介します。

編集後記~改憲派の蠢動
 5年ほど前、改憲を公言しながら突然政権を投げ出した安倍晋三氏が、このところ自民党総裁選を前にまた蠢動し始めた。次回の衆院選に大量の候補を出すと言っている橋下・維新新党とは改憲で一致する、連携したいとも言っている。同様に、自民党のタカ派で知られている石破茂氏との連携も模索しているようだ。この秋、私たちはこうした危険な改憲派の蠢動を許すわけにはいかない。

2012年9月4日火曜日

慰安婦:河野洋平氏の言葉とクリントン米国務長官の指摘


 安倍晋三元首相や松原仁国家公安委員長など日本の政治家たちが、慰安婦の強制連行を認めて謝罪した「河野談話」の見直し・撤回を主張していることをめぐって、1993年に談話を発表した河野洋平元官房長官は8月29日「(自分の)立場は談話を発表したときと全く変わっていない」と語ったというニュースが、8月30日付け朝鮮日報日本語版に掲載されたました。ニュース全文はこちらまたはこちらでご覧になれます。

 なお、日はさかのぼりますが、7月9日付けの朝鮮日報は、クリントン米国務長官が国務省高官から日韓両国の歴史について報告を受けた際、旧日本軍の従軍慰安婦について「性奴隷」との名称を使うべきだと指摘したと報じています。もう少し詳しくはこちらまたはこちらでご覧下さい。

2012年9月3日月曜日

9/8 橋下・維新の会はなぜもてる? その本質はなにか


橋下・維新の会はなぜもてる?その本質はなにか
-「決める民主主義」による民主主義の破壊―
  • 日 時 2012年9月8日(土)13時30分〜16時30分
  • 場 所 弁天町市民学習センター 第一研修室
  • 講 師 黒田伊彦さん
    「ハシズム」の本質を「替歌」をまじえて、共に、考えていきましょう
    [黒田伊彦さんのプロフィール:「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪事務局代表、部落解放人権研究所反差別部会副部会長、元大阪樟蔭女子大学講師]
  • 資料代 500円
  • 主 催 撫順の奇蹟を受け継ぐ会関西支部
 より詳しくはこちらをご覧下さい。

2012年9月1日土曜日

「大阪市長はそんなに暇なら…」


 先月の初めに、『図書』誌 2012年8月号に掲載されている文人たちのエッセイには、政治批判が目につく、という記事を書きました。そのとき紹介したエッセイの中に作家・赤川次郎さんの「三毛猫ホームズの遠眼鏡」という連載エッセイ第2回がありました。昨日届いた同誌9月号中の第3回「ネット社会の闇」においても、赤川さんは橋下大阪市長に対して、チクリと一言、次のように書いています。

 「大阪の橋下市長は、自分を批判する人間にはツイッターで反撃するとかで、私の[「朝日新聞」の「声」欄への]投書に対してもいくつか書き込みがあるらしい。[…中略…]大阪市長とはそんなに暇な仕事なのだろうか? パソコンに向ってツイッターに熱中する時間があるなら、クラシック音楽を聞くなり文楽を見るなりして、教養を身につければいいのに、と思うが……。」

 赤川さんの今回のエッセイの題名は、「若いアイドルへの悪口を匿名で書き込む人々のことを考えると、そこには『ネット社会の闇』が見えてくる気がする」ということが書かれているところから来ています。赤川さんの上記の橋下市長についての言葉に大賛成ですと、ここ、ネット上のブログに書いても、それは「ネット社会の闇」の一端にはならないでしょう。これは匿名記事ではありませんので。

多幡記

2012年8月29日水曜日

9.14〜16 日本科学者会議総合学術研究集会:持続可能な社会への変革をともに/岡山



 日本科学者会議 第19回総合学術研究集会が、「持続可能な社会への変革をともに」というテーマで、2012年9月14日(金)から16日(日)まで、岡山大学において開催されます。14日13:00〜17:00の全体集会(池内了氏の基調講演、安斎育郎、室崎益輝両氏の特別講演)は無料公開です。詳細はこちらをご覧下さい。

2012年8月28日火曜日

2012年8月26日日曜日

8/31「平和のための紙芝居:棺桶で寝た私の18歳」上演会



「平和のための紙芝居」上演会
「棺桶で寝た私の18歳」
  • 日時:2012年8月31日(金)10〜12時
  • 場所:サンスクエア堺・研修室
    (JR阪和線堺市駅、
    または南海バス阪和堺市駅前 下車すぐ)
  • 主催:年金者組合堺北支部
    (連絡:一塚 Tel 072-252-9757)
  • 内容:堺市美原区在住の森田とよ子さん(1924年生まれ)は、従軍看護婦として中国の南京へ行き、そこで終戦を迎え帰国されました。紙芝居は、森田さんがそのときの戦争体験をまとめて、侵略戦争の誤りと平和を訴えておられるものです。
     上の絵は紙芝居の一場面(『ピースウェーブ堺』第22号から転載)で、森田さんが日赤の和歌山班として招集され、列車で広島・呉へ向うとき、母君が森田さんをこっそり見送ってついて来て、泣いている場面。