2012年1月3日火曜日

大阪空襲訴訟 敗訴


空襲被害者置き去り許せぬ!

原告団代表世話人 安野輝子


 私たち、大阪大空襲などの被災者と遺族ら計23人が、国を相手に謝罪と賠償を求めた訴訟を起こしたのは2008年12月8日のことだ。提訴から3年。太平洋戦争開戦70年を控えた7日、判決を迎えた。ほとんど手弁当の弁護士の先生方、多くの支援者のお陰でたどりついたこの日。敗訴に無念がこみ上げた。空襲被害を含む「戦時災害援護法案」は14回、国会に提出されたが、ことごとく廃案。「もう裁判しかない」と、人権保障の砦である裁判所に私たちは訴えた。空襲で片足を奪われ、尊厳を踏みにじられて66年生きてきた心の叫びを私も訴えた。

 しかし判決は「国会の広い裁量で講じられた軍人らへの補償との差が明らかに不合理とは言えない」とした。旧軍人・軍属らには50兆円もの補償・援護がなされた一方、民間の空襲被災者にはない。これは明らかな不合理ではないか。米軍の空襲に際し、国は「防空法」で市民に消火義務を課して退避を禁じ被害を拡大させた。それでも私たちが背負ってきた厳然たる事実は自己責任なのか。洞察力を持って頂きたかった。判決後、一人の青年が言った。「戦争は起きる前に必ず止めないといけない。誰も責任をとらないのだから。」

 (安野さんは鳳南町在住。文は判決直後、朝日新聞に投稿のもの。同紙に掲載された。『憲法九条だより』第16号、2012年1月1日から)

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