2012年11月29日木曜日

改憲の分水嶺:自民党の恐るべき公約


 12月4日に公示される衆院選に向けて自民党が政権公約を発表したのに対して、『東京新聞』は「タカ派色前面 安倍首相時頓挫の公約再登場」と題する記事や「『改憲』は喫緊の課題か」と題する社説を掲載して批判しています。また、『日刊ゲンダイ』も、「本性見えた 安倍自民『ウルトラ右翼』公約」と題する記事を掲載しました。(それぞれの記事は、前記の題名をクリックしてご覧になれます。また、三記事のイメージがこちらのブログ記事に集められています。)

 とくに、『東京新聞』の社説が、「今回の衆院選と来夏の参院選の結果次第では、96条改正勢力が衆参両院で3分の2を超える可能性もある。発議要件が緩和されれば、いずれ9条改正にも道を開くだろう。今回の衆院選はその分水嶺にもなり得る、重要な選択である」と指摘していることを、私たち有権者は真剣に受け止めるべきです。そして、これらの記事が明らかにしている自民党の恐ろしい側面を、周囲の人たちに広く知らせて行かなければなりません。

多幡記

2012年11月27日火曜日

まさに「忌まわしい時代に遡る」:自民党の憲法改正草案


 「『日本国憲法改正草案』がヤバすぎだ、と話題に…」と題するウェブ・ページ(こちら)に、批判的な立場から自民党の日本国憲法改正草案を現憲法と対照した表(2012版)が掲載されています。表の作成者は「私が一番気になったのは、基本的人権を守ろうとする姿勢が大きく後退していること」と述べています。

 また、9条については第1項末尾から第2項へかけての「(国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては)永久にこれを放棄する。 ② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」が「きれいさっぱり削除され、その代わりにトンデモない集団的自衛権行使・可能を捻込んできた!」と評されています。改正草案は「(国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては)用いない。 2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない 」などとしているのです。

 沢田研二さんの『我が窮状』の歌にあるように、これではまさに「忌まわしい時代に遡る」ことになり、このような改正を万一許すことになれば、日本人はまことに「賢明じゃない」ということになるでしょう。

多幡記

2012年11月26日月曜日

「九条の会」メルマガ第153号:誰が憲法、とりわけ9条をしっかり守ろうとしているか


 表記の号が2012年11月25日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。なお、メルマガ読者登録はこちらでできます。

 以下に編集後記を引用して紹介します。

編集後記~まもなく都知事選挙、総選挙ですね

 14、5もの政党が争う大変な選挙になっています。今後のこの国のゆくえを大きく左右する選挙です。一部からは改憲と自衛隊の「国防軍」への改称や「集団的自衛権の行使」などという声がかまびすしく聞こえてきます。私たちは誰が憲法、とりわけ9条をしっかり守ろうとしているかを見極め、主権者としての権利を行使しましょう。

 おわび:先にメルマガ第152号を紹介しましたブログ記事で、リンク先が第151号になっていて、失礼しました。その後、修正しました。

2012年11月25日日曜日

本:『沖縄』『ヒトラーの国民国家』『低線量汚染地域からの報告』


 わが家では『朝日新聞』と『しんぶん赤旗』を購読していますが、最近は政治記事だけでなく、書評などの文化記事でも、前者には魅力のあるものがきわめて少ないと感じています。体制順応的な編集方針がそこまでも影響しているのでしょう。表記の題名の本は、いずれも後者の書評欄(11月18日付け)で知ったもので、いま大いに注目すべき問題を扱っています。

 『沖縄:日本で最も戦場に近い場所』(毎日新聞社、2012)の著者、吉田敏浩氏は、沖縄の人々の生の声を丹念に伝えるだけでなく、なぜ戦争の構造がいま存在しているかの背景に切り込んでもいます。「時宜に適し鋭く急所を衝いた正義の書」であると、新原昭治氏(国際問題研究者)は評しています。沖縄の人々の苦しみをどうすれば取り除くことができるかは、日本の国民全体が考えるべき問題です。

 『ヒトラーの国民国家:強奪・人種戦争・国民的社会主義』(岩波書店、2012)は、ドイツ生まれの歴史家・ジャーナリスト、ゲッツ・アリー氏の著書を芝健介氏が訳したもので、ドイツ国民がなぜナチ指導部による巨大犯罪を許し、自らも犯しえたのかという疑問に答えています。「日中・日韓の問題を考える際にも多くの示唆を与えてくれる」と、熊野直樹氏(九州大学教授)は評しています。ファシズムに似た「ハシズム」が危険ないま、来たる12月16日の総選挙を考える上でも参考になるでしょう。

 『低線量汚染地域からの報告:チェルノブイリ26年後の健康被害』(NHK 出版、2012)の著者たち、馬場朝子・山内太郎両氏は、チェルノブイリ原発から 140 キロ離れていて、「年間 0.5 から 5 ミリシーベルトの被爆線量が見込まれる地域」とされているコロステン市を訪れ、そこでも多くの病気が増えている事実を報告しています。評者の前田利夫氏は、「その原因を究明することもなく放射線の影響でないとするのは、はたして『科学的』といえるのか—大きな疑問を投げかけています」と述べています。福島第一原発の事故による低線量汚染地域の調査も徹底して行なわれなければなりません。

 余談ながら、以前私が水村美苗著『続 明暗』を愛読したので、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の続編である高野史緒著『カラマーゾフの妹』(講談社、2012)も読みたいだろうと妻が思い、その書評を読んだかと私に尋ねました。私はそれを見落としていて、朝日紙の書評欄だろうと思ったのでしたが、それも『しんぶん赤旗』の方でした。

多幡記

2012年11月17日土曜日

原水爆禁止2012年世界大会・科学者集会(滋賀)のこと


 表記の集会が2012年8月1日に滋賀県大津市で開催されました。『日本の科学者』誌12月号にその報告が掲載されています。

 それによると、全国から164人(科学者会議会員75名、会員外89名;滋賀県内76名、県外88名)が参加し、「非核の世界をめざして:核兵器廃絶と原子力発電からの撤退」をテーマに、2011年3月11日に発生した東日本大震災による福島第一原発事故後の同年7月に開催の岐阜集会と同様、核兵器廃絶と原発問題を関連させて取り扱ったということです。

 集会では七つの報告が行われ、続くリレートークでは11人の発言があり、総合討論では、約20人が発言し、活発な討論が行なわれたそうです。

 実行委員長・畑 明郎氏(元大阪市立大学)の呼びかけの言葉をこちら、日本科学者会議宮城支部のブログ・サイトでご覧になれます。

 また、七つの報告の短い概要を、下記のタイトルをそれぞれクリックして、同じく上記のブログ・サイトでご覧になれます。

 ジョセフ・ガーソン氏の「核兵器廃絶を実現することは、…(中略)…最初の原爆を受けた国の人々によるリーダーシップがあり、十分な数の諸国民が、アメリカや他の核保有国を包囲し、孤立させ、核兵器廃絶を実行させる意思と勇気を持つことが必要」との言葉を私たちは重く受け止めなければなりません。

 また、ブログ・サイトの概要には記されていませんが、『日本の科学者』誌の記事によれば、川崎陽子氏はドイツとの比較によって、収束の見通しのつかない未曾有の原発事故の当事者でありながら、事故検証を踏まえた改革もせずに強引な原発再稼働を勧める日本の根本問題を指摘したとのことです。

多幡記

2012年11月16日金曜日

「憲法が生きる日本をつくりましょう」



 大阪憲法会議・共同センターが上に掲載したようなチラシをつくっています。活用しましょう。

 おもての面(上掲の一つめのイメージ)には、「憲法が生きる日本をつくりましょう」と題して、憲法25条と憲法9条の条文をかかげ、「原発ゼロへ」、「青年に雇用を」、「暮らしに安心を」、「増税しなくても社会保障財源は確保できる」、「世界の流れは『核兵器のない世界』『紛争の平和的解決』」などの主張を、説明を添えて書いてあります。

 うらの面(上掲の二つめのイメージ)には、「憲法と民主主義守る府民共同の力で、くらしや教育、地域破壊の橋下『改革』にストップを」の言葉をかかげ、「橋下『改革』はだれのため」、「教育基本条例」、「職員基本条例」、「独裁・恐怖政治は許せません」などの説明を記してあります。

 大阪憲法会議・共同センターのホームページはこちら、チラシの PDF 版はこちらにあります。

多幡記

2012年11月15日木曜日

原発の非倫理性 2


 11月14日付け『しんぶん赤旗』の「学問・文化」欄に、18日まで東京・俳優座劇場で上演中『いのちの渚』の紹介がありました(記事の題名は「原発の本質 訴える力持つ」。『いのちの渚』公演案内のウェブページはこちら)。

 1989年に福島第2原発で起きた事故と事故発生直前の保修課長の変死に取材した吉村公一郎の戯曲で、今回が初演とのことです。紹介している演劇学研究者・北野雅弘氏は、戯曲の展開の単調さや設定の不自然さを指摘しながらも、課長の梶木(川井康弘が演じる)の寡黙な正義感とその妻理恵の優しさの描写は作品に奥行きを与えた、と賞賛しています。

 そして、なによりも、「嘘とごまかしを重ねる東電と国の無責任、その横暴は、[2011年の福島第1原発の]事故以来多くの住民を苦しめて来た。この作品がまさに今観客に訴える力を持つのは、人を踏みにじるその非道が原発の本質に由来し、私たちの社会がそれと共存できないことを示しているからである」との指摘に重みを感じました。上演の成功が期待されます。

多幡記

2012年11月14日水曜日

橋下さん、「平和ぼけしすぎ」とは何ごとですか


 日本維新の会代表の橋下大阪市長はさる10日、核兵器の廃絶について「現実には無理だ。[日本が]米国の核の傘の下に入ることは必要」と、全国遊説先の広島市で記者団に述べたことが報道されました(毎日 jp など)。橋下氏は「日本は国連の安全保障理事会の理事国でも何でもない。日本は平和ぼけしすぎている。国際機関の中で無視されかけている中で、[核兵器の]廃絶といっても誰ができるのか。現実的な戦略を訴えないといけない」とも語っています。

 日本国憲法は平和主義を柱にしているのです。その精神に忠実に平和を願う国民が多くいることを、「平和ぼけしすぎ」などということは言語道断です。核兵器廃絶は、核兵器を保有する大国のわがままによって困難であるだけに、核兵器を持たない国ぐにが力を合わせて、この非人道的なものをなくしていかなければならないのです。核兵器廃絶に弱腰になることは、人類の破滅に手を貸すことでしかありません。橋下氏の猛省を促します。

♪ふるさとの街やかれ
身よりの骨うめし焼土に
今は白い花咲く
ああ許すまじ原爆を
三たび許すまじ原爆を
われらの街に♪

浅田石二・詞、木下航二・曲「原爆を許すまじ」

多幡記

2012年11月13日火曜日

原発の非倫理性



 布施祐仁著『ルポ イチエフ:福島第一原発レベル7の現場』(岩波書店、2012年)の書評が、11月11日付け『しんぶん赤旗』の「読書」欄に掲載されていました。評者はジャーナリスト、元関東学院大学教授の丸山重威氏です。「イチエフ」とは「福島第一原発」の意味です。

 この本は、これまで指摘されながら、なかなか表面に出なかった問題、そして、同原発の事故によってようやく誰の目にも明らかになってきた問題を掘り下げています。著者は現場の作業員50人をインタビューして、「使い捨て」労働者の実態を描き出しているということです。丸山氏は「犠牲者を出さずには成り立たない原発という技術は、非倫理的だ。原発を考える人には必ず読んでほしい本だ」と記しています。

 原発は、捨て場のない核廃棄物を大量に出す不完全な技術であるばかりでなく、事故がなくても、定期点検などで「使い捨て」労働者に頼っており、一旦事故が起これば、事故処理のために働く多くの人たちを犠牲にするだけでなく、広範囲にわたる周辺の住民の暮らしまで破壊します。これらのことは、非倫理性以外の何ものでもありません。政府・財界の人たちに人間的な心が少しでもあるならば、このような技術に頼ることを一刻も早く止めようとの多数国民の要求に応じて貰わなければなりません。

多幡記

2012年11月11日日曜日

憲法9条の平和主義は世界史的意義を有する


 北村実氏(早稲田大学名誉教授)は、2008年の論文「平和主義の先駆——憲法第9条の意義」(『日本の科学者』Vol. 43, p. 460)に次のように記しています。

法学協会『注解日本国憲法』(有斐閣、1953)は、「これほど徹底的に、つまり自衛及び制裁の場合を含めて一切の戦争を放棄し、更に進んで軍備までも廃止した憲法は他に見当たらない」とし、第9条の平和主義が「世界史的意義を有する」と高く評価してやまない。

北村氏は、このような評価を裏書きする証拠はいくつもあるとして、次の3例を挙げています。
  • 憲法9条の先駆的意義をアメリカ人として誰よりも確信したチャールズ・オーバービーが、1991年に9条の世界への普及を提唱し、国際的な「9条の会」を世界で初めて発足させた。
  • 1999年にハーグで開催された平和市民集会が、「公正な世界秩序のための10原則」の冒頭に、「各国議会は、日本国憲法第9条にならい、自国政府に戦争を禁止する決議をすべきである」との原則を掲げた。
  • 2008年に千葉の幕張メッセで初の「9条世界会議」が開催され、ノーベル平和賞受賞者のマイレッド・マグワイア(北アイルランド)が基調講演で、「日本の平和憲法は世界中の人々に希望を与え続けて来た」と、9条の意義を改めて強調した。
 そして北村氏は、憲法9条は「人類の悲願だった不戦・非武装の理想の歴史上初の実定法化」、「主権国家のエゴイズムを乗り越えようとした最初の試み」として世界の共通目標になろうとしているのであり、これを守り抜く責務が私たち日本国民に課せられている、と指摘しています。

 私たちがこの責務を果たせるかどうかが試されるときが、いままさに近づいています。憲法9条のたぐいのないよさを学び、広めて行きましょう。

多幡記

2012年11月10日土曜日

「九条の会」メルマガ第152号:「『九条の会』からの訴え」を再録


 表記の号が2012年11月10日付けで発行されました。詳細はウェブサイトでご覧になれます。運動に活用しましょう。なお、メルマガ読者登録はこちらでできます。

 以下に編集後記を引用して紹介します。

編集後記~「『九条の会』からの訴え」を再録します
 ごく最近でも、第3極をめざす日本維新の会が発足したり、都知事の椅子を投げ出した石原慎太郎氏が憲法破棄などの課題を掲げて政党を立ち上げようとするなど、憲法をめぐる情勢はますます重大な方向へと向かっています。
 「九条の会」ニュース164号(10月16日)に掲載の「『九条の会』からの訴え」の意義がますます重要になっていると思われますので、以下に再録しておきます。



 明文改憲、集団的自衛権の行使容認などの解釈改憲の動きが強まる重大な情勢のもとで、学習と対話活動が重要になっており、草の根からの世論の盛り上げが重要になっています。
 『九条の会』は呼びかけ人などによる憲法セミナー、事務局主催の学習会を開きます。各地の九条の会も草の根の学習会を連続して開きましょう。
 来年の秋には憲法についての討論集会を開きます。全国から結集しましょう。



2012年11月9日金曜日

9条宣伝・署名活動で「我が窮状」


 本会の今月の9条を守り活かすための宣伝・署名活動を、きょう鳳西町で行ないました。私(多幡)は、マイク宣伝の中に下記の文を入れ、「我が窮状」の歌詞のところは歌ってみました。
 歌手の沢田研二さんも、「我が窮状」という歌で、憲法9条を守ることの大切さを訴えています。この歌の題名や歌詞にある「きゅうじょう」には、困った状態という意味の文字が当てられていますが、その意味するところは憲法9条です。
♪麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが
忌まわしい時代に 遡るのは 賢明じゃない
英霊の涙に変えて 授かった宝だ
この窮状 救うために 声なき声よ集え
我が窮状 守りきれたら 残す未来輝くよ♪
まだ2番とリフレインが続きますが、長くなりますので省略します。2番の歌詞には、「この窮状 救いたいよ 声に集め歌おう」という言葉があります。歌詞や楽譜、沢田研二さんが歌っている録画などがインターネット上にありますので、皆さんもぜひ、覚えて歌い、憲法9条を守ろうとの声をもっともっと広げようではありませんか。
 小・中学校時代に習った、あるいは聞き覚えた歌ならば、ウォーキング中に比較的正確なメロディーで口ずさんでいるつもりですが、この歌のメロディーはいささか難しく感じられます。年のせいで、新しいものを記憶に取り込む能力が衰えているためでしょうか。あるいは、実際に難しいメロディーなのでしょうか。

 ちなみに、歌詞と楽譜はこちらに、沢田研二さんが歌っている録画・録音はこちらこちらにあります。

多幡記

2012年11月5日月曜日

「石原氏 シナ発言の危うさ:歴史呼称 侮蔑に転化—戦時に使用 中国から嫌がられ」東京新聞


 10月31日付け東京新聞は、小倉貞俊、荒井六貴の両記者が『「石原新党」の主役、石原慎太郎東京都知事(80)が国政復帰を目指すなかで気になるのが、中国を「シナ」と呼ぶことだ。中国の反発を意に介せず、最近は挑発するように連発するが、シナはなぜ問題視されるのか。尖閣諸島の国有化で悪化した日中関係が改善しないなか、「排外的ナショナリズム」について考えた』として書いた、表記題名の記事を掲載しました。以下に要点を紹介します。

 シナの語源としては、中国初の統一王朝となった「秦」とする説が有力です。のちに清朝(しんちょう)ができましたが、中華民国建国の父・孫文は、その打倒を目指したことから、中国の呼称に「清」を使わず、「支那」を多用しました。「シナという呼称自体には歴史的な重みがあり、差別的な意味は全くない」(中嶋嶺雄・国際教養大学長、現代中国学)ということです。ただし、日本と中国の間では、次のような経緯があります。

 1912年の中華民国の成立後も日本は新国家を認めることなく、「支那」と呼称することを決定。中国侵略に際して、侮蔑語として使うようになりました。「暴支膺懲」(ぼうしようちょう、暴虐な支那を懲らしめよ)のスローガンも作られ、「軍上層部による中国への蔑視が込められていた」[槻木(つきのき)瑞生・同朋大名誉教授、中国近現代史]ことから、中国側が反感を高めました。

 戦後の1946年、外務省が「中華民国が嫌がり、使用をやめてほしいとの要求があった」として、新聞や雑誌で支那と表記することをやめるよう通達。1949年に中国共産党が中華人民共和国を建国し、次第に使用が控えられるようになりました。

 このような経緯のある呼び名をあえて連発する石原氏は、排外的ナショナリズムの強い人物であることが明らかで、近隣の国ぐにと仲よくして行くべき日本の国政に関わるのにふさわしい人物とは言えないのではないでしょうか(「排外的ナショナリズム」と言う言葉は、見出しにあるだけで、記事の本文中には石原氏と結びつけて使用されていませんが)。

多幡記

2012年11月4日日曜日

9条関連書籍紹介


 読書週間も半ばです。憲法9条関連の良書を紹介します。


孫崎 享(まごさき・うける)著
『不愉快な現実:
中国の大国化、米国の戦略転換』

(講談社、2012年、798円)

 中国の大国化。それと対称的な日本経済の体調。国民のフラストレーションの背景には、こうした「不愉快な現実」が確かにある。だから軍事の供えと日米同盟の教科と言う路線は、最も非現実的で日本孤立化の道だ。元外交官、元防衛大学教授の著者はそう断言し、日米安保にしがみついて思考停止状態の政治に警鐘を鳴らす。憲法9条を基礎にした外交戦略を考える上で参考になる、短いが貴重な一冊。(2012年4月8日付け『しんぶん赤旗』記載の田中靖宏氏の評から抜粋)


内藤 功著、聞き手 中谷雄二、川口 創
『憲法九条裁判闘争史:その意味をどう捉え、どう活かすか』
(かもがわ出版、2012年、3150円)

 最近、憲法9条を改悪する動きや集団的自衛権の講師を容認する流れが高まりを見せています。いまこそ「憲法を武器に」平和を守らなければならない局面にあります。本書には憲法を武器にたたかった砂川事件、恵庭事件、長沼事件、百里基地事件の経験がちりばめられ、憲法という武器の使い方が書かれています。「平和を愛する市民の必読書」です。(2012年11月4日付け『しんぶん赤旗』記載の種田和敏氏の評から抜粋)

文責・多幡

2012年11月2日金曜日

赤川次郎氏の「旗ふる人」批判エッセイ


 『図書』誌に連載の赤川次郎氏のエッセイ「三毛猫ホームズの遠目鏡」は11月号で第5回となります。今回は「愛国の旗」と題されていて、城山三郎の詩「旗」(『支店長の曲り角』講談社、1992年、所収)の冒頭の二行「旗ふるな 旗ふらすな」の引用で始まっています(「旗」の全体はこちらのブログ記事に引用されています)。

 赤川氏は「どんな時、どんな旗であっても、旗を振って人々を煽る人間に対し、どこか『うさんくささ』を感じておられたのだろう。それは城山さんご自身の従軍体験の実感から来たものだったに違いない」と記しています。

 次いで、赤川氏は、以前はなかった、オリンピックで勝者が大きな国旗を身にまとって場内を一周するパフォーマンスを批判しています。元来オリンピックは国境を越えた、個人の競い合い場のはず、というのが批判の根拠です。

 そしてエッセイは、「将来に希望が持てない不満は、しばしば弱者への攻撃、仮想敵への憎悪に向う。そういう社会を作って恥じない人々ほど、二言めには『愛国心』を口にするものだ。日の丸の旗を振るリーダーこそ警戒しなければならない」との結論へ進んで行きます。そこまでの話に挙げられている、「そういう社会を作って恥じない人々」の例は誰々でしょうか。

 「尖閣諸島を巡って、日中の対立が烈し」くなった「そもそものきっかけ」である「唐突な『買収宣言』」をした石原都知事が挙げられています。(石原慎太郎氏は赤川氏がこのエッセイを執筆した当時まだ都知事でしたが、10月25日、都知事を辞職する意向を表明し、それとともに、新党を結成して、国政への復帰を目指す考えを明らかにしました。)

 「中国との緊張を高めることで、米軍、自衛隊の存在意義を強調することを狙ったアメリカの意図[に乗ったもの]ではなかったのか。中国指導部の交替を目前に控えた『最悪のタイミング』。あえてそこを狙ったのでなければ、あまりに不自然である」との、うがった見方が述べられています。(石原氏は以前から、尖閣諸島をタネに中国との緊張を高めようという考えを持っていました。2005年のブログ記事「最初のぼたんを掛け違えている」参照。)

 続く例は、オスプレイの事故についてのアメリカの報告をそのままくり返し、また、自民党政権すらためらって来た「武器輸出三原則」の緩和をやってのけた現政府と、それを望み、利益さえ上がれば、日本製のミサイルや機関銃が罪もない子供を殺りくする光景など気にしないような日本の財界人です。赤川氏の今回のエッセイには登場していませんが、関西にも格好の例がありそうです。

 このように紹介すると、赤川氏のエッセイは暗い話ばかりに満ちているように聞こえるでしょうが、そうではありません。オリンピックの話に続いては、「国旗を身にまとう、という行為に、一度だけ胸打たれたことがある」として、感激的なエピソードを記しています。グルジア出身のバレリーナ、ニーナ・アナニアシヴィリが2010年に「グルジア国立バレエ」を率いてやって来たとき、カーテンコールに現れた彼女がグルジア国旗を身にまとっていたのです。

 バレエ団の来日時に、グルジア大統領サアカシュヴィリが殺されたというニュースが流れ、アナニアシヴィリの夫君は時の外務大臣であり、政権が転覆して親ロシア政権に代れば、夫婦ともども命の危険さえあったのです。幸い、ニュースは誤報だったと分かりました。赤川氏は、「いつ失うかもしれない祖国。その危機感の中、アナニアシヴィリは祖国グルジアへの愛を表現したのだ。オリンピックの TV 向けパフォーマンスとは全く違う、切実で哀しい行動だった」と書いています。

 エッセイの最後には、かつて旧国鉄広尾線の愛国駅・幸福駅間の切符が爆発的に売れたとき、赤川氏が「『幸福』はともかく『愛国』はどうもね」というと、若い女の子が「『愛の国』のどこがいけないの?」と問い返したという話を紹介し、「なるほど、『愛国』が『国を愛する』のでなく『愛の国』である時代、そんな世界が一日も早く来てほしいものだ」と記しています。

多幡記