先般の記事で、大江健三郎さんのエッセイに魯迅の次の言葉が紹介されていたことを書きました。
希望は、もともとあるものとも、ないものとも言えない。それはまさに地上の路(みち)のようなものだ。本来、地上に路はなく、歩く人が増えれば、そこが路になるのである。
この言葉について私は、「魯迅は、『希望』を単にばくぜんとした望みでなく、実現へと確実にたぐり寄せるべき目標ととらえ、その方策をも示唆するものとしてこの言葉を書いたのでしょう」という感想を述べました。
本日(12月16日)付けの「堺アピール:教育基本条例撤回」事務局からのメールに、佐高信氏が昨日の講演会の締めくくりに、同じ魯迅の言葉(和訳の表現は若干異なりますが)を引用したことが記されていました。そして、「希望があるから闘うのか、希望がなければ闘わないのか。希望は、多くの人々ともに闘う中から生まれるのだと魯迅は言っています」との解説が付けてありました。
この解説を読んで、なるほど、「希望」の語を、「闘いによって勝ち取るべき目標の達成可能性」の意味に取れば、「地上の路」へのたとえが、まことに理解しやすいと思いました。
多幡記