2013年12月8日日曜日

一枚のハガキ

浅井千代子(本会世話人)

M新聞の読者のひろばで
貴女の名前を見たわ
と京都在住の詩人
白川淑さんから
美しい絵ハガキが届いた

もう四十年も前
大阪南YMCAで
人形劇グループを作り
ボランティア活動をしていた
彼女は其の頃既に将来性を秘めた詩人で
グループのリーダーであった
仲間には他に
東京の女流画家展に出品
賞をもらった方
朗読プロの多才な方その中で
グズで口下手の私は
何時も端っこで
人形制作と機関紙担当
十一年も在籍したのが不思議でしょうがない

彼女は住居を神戸から京都に移し退部
其の後度々女流詩人として
詩誌や新聞等に登場
さすがと感嘆していた
詩集も何冊か頂いた
私は其の後地域に活動の根をと
生活圏に戻った

長い空白を埋めて
思い出が一気に蘇った一枚のハガキ

M紙への投書は
NHKが八月に放映したETV特集
「届かぬ訴え—空襲被害者たちの戦後」
被害者への無策を嘆いての一文
その通りとの彼女の感想嬉しかった
早速お礼の返信に
悲惨な戦争体験者として
かつて軍国少女であった過去を悔い
今後もたゆまず発信していきたいと書いた

福島原発被害は拡大するばかり
その上歯止めを失った改憲の動き
更に秘密保護法の台頭には
心臓をえぐられる思いである
書きつづらなければならない現実に
幾重にもとりまかれている

『異郷』第26号(2013年10月)から。
[写真は浅井さん手製の9条ブローチをあしらった絵ハガキで、詩の
冒頭に出てくる、浅井さんの受け取った絵ハガキとは異なります。]

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