2014年3月29日土曜日

4/5 講演「安倍政権の暴走と政治革新の展望」:堺市で


 表記の講演が下記の通り行なわれます。
  • 日時:2014年4月5日(土)14:30〜
  • 会場:サンスクエア堺 第1会議室(JR阪和線「堺市駅」から西へ300m。TEL 072-222-3561。地図はここをクリックしてご覧下さい)
  • 演者:冨田宏治さん(関西大学法学部教授、法学部長)
  • 主催:自由と自治・進歩と革新をめざす堺市民の会(堺市民懇)
    〒590-0021堺市堺区北三国ヶ丘町1-2-29 堺市教職員組合内
    TEL 072-221-1717 FAX 072-223-6115

 冨田宏治さんのプロフィール:1959年生まれの政治学者。関西学院大学法学部教授。専攻は、日本政治思想史。名古屋大学法学部卒業。同大学院法学研究科博士後期課程を単位取得退学後、関西学院大学法学部専任講師・助教授を経た後、1999年から現職。2006年から原水爆禁止世界大会起草委員長を務める。著書に、『丸山真男―「近代主義」の射程』(関西学院大学出版会、2001年)、『「自由‐社会」主義の政治学―オルタナティヴのための社会科学入門』(晃洋書房、(1997年)など。

 この講演は堺市民懇第26回総会の第2部「記念講演」として行なわれるものですが、一般の方も自由に聴講できます。

(文責・多幡)

2014年3月28日金曜日

憲法9条~2014年度ノーベル平和賞受賞を目指す取り組み~:「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会


 「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会から、「2014年度のノーベル平和賞受賞を目指して~今後の取り組み~」と題するメールが届きましたので、以下に紹介します。この取り組みへの賛同署名は、当初インターネット上(ここをクリックして出るページ)でのみ受け付けていましたが、その後、紙による署名の書式がインターネットでダウンロード出来るようになったことが初めに記されています。

 2014年度の受賞を目指して、取組のポイントをまとめた『署名募集要項』を作成いたしました。今年の9月から、2015年度として平和賞候補のノミネート(推薦)の受け付けが開始されます。年度をまたいでも、推薦人と賛同人の広がりが2014年度の選考過程において、最後まで受賞の後押しになることを期待し、 受け付け開始から10月のノルウェー・ノーベル平和賞受賞者が発表されるまでの約1か月の間に、できるだけ多くの推薦状と賛同署名をノルウェー・ノーベル委員会に送ることを願っています!
 この取り組みは、受賞を目指すとともに、一人でも多くの方が憲法に関心をもち、改憲の危機迫る中、憲法が自分たちの生活にどれほど深くかかわっているのかを感じ、身近な事として考えてもらうきっかけになることを願っております。そして、平和憲法の素晴らしさを改めて感じ、少しでも憲法の理想に近づくことができるように、それぞれができることを始めていくことができたらと、願っております。
 実行委員会はそのきっかけになることを願い、材料を提供しているに過ぎません。組織が主体ではなく、ご賛同くださるお1人おひとりが主体的に、無理なく、責任を持ってできる方法でご賛同の輪を広げていただき、一人ひとりが主体として動くことにより、賛同の輪は益々世界に向けて広がっていくと確信しております。
 また、ノルウェー・ノーベル委員会公式HP掲載の、ノーベル平和賞受賞者推薦に関する情報を、このたびボランティアの方が翻訳してくださいました。この情報は、私たちの取り組みで一番大事な柱となるものです。ご覧になっていただければ幸いです。 子どもたちの可愛らしさ、愛おしさは、国を超え、人種を超え、世界万国共通です。大人が戦争すると、必ずどこかで子どもたちが恐怖と苦しみに突き落とされます。世界中の子どもたちを守るため、一人ひとりに出来ることは小さいけれど、それぞれが置かれた場所で『戦争しない』憲法9条を守り、世界に広めていくことは、世界中の人たち、特に子どもたちや弱い立場にいる人たちを守ることにつながります。
 「憲法9条にノーベル平和賞を」の取り組みが、世界中の人たちの平和を願い、ノーベル平和賞の受賞を目指すことを通して、憲法9条を守り、活かし、広めていくことを願い、戦争しない憲法の価値を改めて考えてもらう良いきっかけになるよう願っています。
 平和を願う、一つ一つの小さな声をつないで、世界の平和を実現していきましょう!
 引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
 心からの感謝を込めて
「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会

(引用にあたって、読みやすくするための若干の編集をしました。文責・多幡)

2014年3月26日水曜日

3/29 なくせ! 特定秘密保護法 堺 Action!!


 表記名称の集会とデモ行進が、2014年3月29日(土)に大阪・堺市内で行なわれます。詳細は上掲のチラシイメージをクリック・拡大してご覧下さい。

(文責・多幡)

2014年3月25日火曜日

政権の独断で憲法解釈を変えてしまうのは、まさにナチスの手口:「九条の会」メルマガ第184号


 「九条の会」メルマガ第184号(2014年3月25日付け)が発行されました。詳細はこちらでご覧になれます。運動に活用しましょう。

 次の記事のほか、多くの重要な記事が掲載されています。
以下に、編集後記を引用して紹介します。
編集後記~解釈改憲 国会・国民の議論飛ばす 揺らぐ立憲主義

 22日の東京新聞の1面トップの見出しがこうだったのです。本当にそうだと思いました。国会や国民の議論にはからず、政権の独断で憲法解釈を変えてしまうのは、まさにナチスの手口です。このような事態を前にして、私たち主権者はいまこそ、それぞれの意志で行動するときではないでしょうか。

 (「九条の会」メルマガ読者登録は、ここをクリックして出るページで出来ます。)

2014年3月22日土曜日

田尻町(大阪府泉南郡)議会、「空襲被害者等援護法(仮称)の制定を求める意見書」に関する陳情書可決の見込み


 大阪空襲訴訟団の安野輝子さんからメールで以下の連絡がありましたので、お知らせします。



 3月24日、大阪府泉南郡田尻町の議会に同町在住の吉田榮子さんが提出していた「空襲被害者等援護法(仮称)の制定を求める意見書」に関する陳情が、超党派で可決の見込みとなりました。陳情書が可決されるのは大阪府で初めてです。吉田さんの奮闘の成果で、全議員が賛成していただけそうです。趣旨は、国会と政府に、「『空襲被害者等援護法(仮称)の制定を求める意見書』を提出してください」というものです。詳しくは添付をご覧ください。
 私たちは、そのときを喜び合うために傍聴に行きます。いまのところ支える会の米澤清恵さんと私が参加を予定しています。傍聴席が3階で、エレベーターがないそうで、私は40段の階段は上れそうもなく(義足のため)、傍聴を断念しようと思ったところ、役所の方で3階までもち上げてくださるそうで、大阪府下初の陳情可決のときを傍聴できそうです。
 みなさま、このことを広く伝えて、傍聴もしていただきますよう、よろしくお願いいたします。なお、私の住む堺市は昨年陳情書を提出の運びとなりましたが、可決の見込みが得られませんでした。堺市は過去に、大きな空襲被害を受けていますので、堺市民を守るためにも陳情書の成立を望んでいます。今年中にもう一度、陳情書の提出をしたいと思っています。よろしくお願いいたします。
安野輝子



陳情書

 (注:趣旨部分は安野さんのメールにある通りなので、理由部分のみを以下に引用します。)

<理由>
 太平洋戦争の終結から68年が経過した今日まで、本土空襲の被害者や、沖縄地上戦、艦砲射撃などの民間人被害者への国による補償、救済は一切なく、見放されてきました。国が、旧軍人・軍属とその遺族には総額52兆円の国費を投じて年金、恩給を支給し、救済してきたのと対照的です。
 この不条理を正すため、全国の空襲被害者らが2010年8月、東京で全国空襲被害者連絡協議会を結成し、「空襲被害者等援護法」(仮称)の制定をめざして活動してきました。また、大阪、東京では、空襲被害者を放置してきた国の責任を問う集団訴訟も進められました。
 先の大戦による甚大な被害は、全国200都市におよび、死者は推定50万人を超えます。大阪府では死者1万2620人、行方不明者2127人(1945(昭和20)年10月大阪府警察局調べ)の計約1万5000人の犠牲となったといわれています。
 幸いなことにわが田尻町は太平洋戦争中、空襲被害を受けませんでしたが、当時大阪市など他都市で空襲に遭った多数の住民が暮らしています。陳情者の吉田榮子(昭和36年に田尻町に転入)は、10歳のとき、45年3月13日深夜から14日未明にかけての第1次大阪大空襲で、両親と姉弟、叔父一家の家族9人を失い、孤児となりました。自身は学童疎開で命を取り留めたものの、大阪市浪速区河原町2丁目1459番の自宅は全焼し、中学卒業まで親戚をたらい回しにされ、食糧難の中、厄介者扱いされて心休まる場所はなく、心身が深く傷つきました。また、国が戦災孤児を一切放置したことが、トラウマをさらに深いものにしました。その後も、国は空襲犠牲者の実態調査すら行わず、被害者を放置する中、69年たった今も、癒やしを得られていません。そして、国の無策のために、空襲当日だけでなく、戦後も苦しみを背負う体験は、決してめずらしいものではありませんでした。
 ドイツや英国、フランス、イタリアなど、先進国の多くは、第二次世界大戦の民間人の戦争被害者を、軍人・軍属と区別なく等しく救済、補償しています。世界を代表する先進国となった日本は、戦後68年を経ても、なぜそれに近づくことができないのでしょうか。高齢となった空襲被害者はいま、「このままでは死ぬに死にきれない」という思いを持っています。
 国会では、この問題について超党派の「議員連盟」が結成され、2112年6月13日には「立法案要綱」を確定し、援護法の成立に向けて幅広い賛同が広がるように、国会内外で活動を進めています。
 激しい空襲を受けた長崎県佐世保市の市議会は、すでに意見書を議決し、国会に提出しています。また東京都三鷹市、立川市、東村山市、武蔵村山市、八王子市、調布市も同様の意見書を採択し、国会に送りました。
 わが田尻町もぜひ、「空襲被害者等援護法(仮称)」の制定を求める意見書を町議会で採択し、国会および政府に提出していただきますようお願い申し上げます。


(文責多幡)

2014年3月21日金曜日

「私たちがどのように押し返すかで、日本の運命が決まる」:大江健三郎さんが大阪で講演


 ノーベル賞作家の大江健三郎さんが、3月18日、大阪・本願寺津村別院本堂で行なわれた公開講座で「非戦平和」と題して講演し、安倍政権の暴走を批判しました。

 講演の中で大江さんは、「人が個人として尊重される新しい憲法」を得て、希望を持って新しい国づくりに臨む気風の中で育った体験を紹介し、その平和憲法を作り替えようとする自民党の憲法草案には、「一番大切な "個人"」がなく、「憲法9条を忘れ、戦争を心配しなければいけない時代になっていく」と警告しました。

 さらに、東日本大震災後、多くの人々が「原発の脅威のない、原発に頼らない社会」をめざしている事実を強調するとともに、原発再稼働の動きと並行して、海外での武力行使を可能とする集団的自衛権を容認し「アメリカとともに戦争する国」にする動きが進んでいることについて、「新憲法の出発時に決心した国とは、まったく違う国になってしまう危機」であり、「戦後[の平和努力]が終わってしまう」ことになると指摘しました。

 大江さんは、また、「私たちがどのように押し返すかで、日本の運命が決まってくる」と、集団的自衛権の容認や発動を許さない取り組みの重要性を語り、「一番大切なことは、次の世代が生きていけないような社会・環境を作らないこと」と」訴えました。

 (以上、3月20日付け『しんぶん赤旗』の記事「憲法の原点と違う国に:大阪 大江健三郎氏が改憲批判」を参考にしました。)

多幡記

集団的自衛権容認反対、雨中に4000人が東京・日比谷で集会


 集団的自衛権行使容認に反対する「戦争をさせない1000人委員会」の集会が、3月20日、東京・日比谷公園野外音楽堂で開かれました。雨の中、主催者発表で約4000人が参加し、「安倍政権による解釈改憲を許すな」と声をあげました。

 集会では、委員会発起人の一人である作家の大江健三郎さんが、「集団的自衛権を使うということは、アメリカと一緒に戦争をするということ。世界中で戦争をするアメリカとともに、先頭に立つことは避けよう」「次の世代を担う若者たちのために戦争ができる国づくりを進めてはならない。憲法9条の理念であすの生き方をつくろう」と訴えました。

 憲法研究者の山内敏弘・一橋大名誉教授は「集団的自衛権の行使容認とは、憲法の定める立憲主義と平和主義を根底から破壊するもの」と批判しました。作家の落合恵子さんは、安倍首相が東京電力福島第一原発の汚染水漏れを「アンダーコントロール(管理下にある)」と発言したことに触れ、「(発言を)この国のトップに返しましょう。戦争をしたいあなたたちを、戦争をさせないと決めた私たちがコントロールしていく」と呼びかけました。(以上、朝日新聞デジタルNHK NewsWeb の3月21日付け記事を参考にしました。)

 なお、「戦争をさせない1000人委員会」は、解釈改憲によって日本を戦争に参加できる国にしようとする動きを止めようと、さる3月4日に発足したもので、安倍政権の解釈改憲による集団的自衛権行使容認の阻止をめざし、全国に賛同人を募っています。詳しくは同委員会のウェブサイトをご覧下さい(「戦争をさせない1000人委員会アピール」のページはこちら)。

多幡記

2014年3月20日木曜日

リーフレット「2分で分かる! 集団的自衛権 ほぼ A to Z」販売中、動画もご覧になれます:明日の自由を守る若手弁護士の会


 政権発足以来、安倍首相は「集団的自衛権の行使容認」への執念を隠さず、日に日に実現への歩みを加速させています。集団的自衛権の「行使容認」とは、次のようなことです。

 「憲法の読み方を変えます。戦後ずっと、日本は憲法9条がある以上、集団的自衛権を行使することは許されない、と考えてきましたが、それは間違いということにします。今日からは、憲法9条のもとでも、日本は集団的自衛権を行使して、戦争できるということにします。」

 憲法の読み方を変えるということは、憲法改正ではないでしょうか。「読み方変える」ことが許されるのでしょうか。そういうことを、私たち国民の意見を聞かずにやれるものでしょうか。など、いろいろな疑問が思い浮かびませんか。

 そこで、「明日の自由を守る若手弁護士の会」は、「集団的自衛権」と「解釈改憲」の正確な知識と内容を、分かりやすく解説したリーフレット「2分で分かる! 集団的自衛権 ほぼ A to Z」を作成しました。同会のホームページから注文できます。(以上の紹介も同ホームページを参考にしました。)

 また、そのリーフレットを動画にしたものが、YouTube で公開されています(長さ6分)。下にそれを組み込んでおきます。


多幡記

2014年3月16日日曜日

4/5「標的の村」堺上映会



 「標的の村」堺上映会が下記の通り開催されます。

  • 日時:2014年4月5日(土)
    1回目/14:00~、2回目/18:30~(開場:30分前)
  • 会場:堺市総合福祉会館大ホール
     南海高野線堺東駅から徒歩9分
     地図はここをクリックしてご覧下さい)
  • 上映協力費:1,000円(障がい者・学生500円)
  • 主催:いま、9条と私たち非戦の市民講座
     FAX:072-242-6315
     メール:QYD04504アットマークnifty.com
      (アットマークのところを@に替えてご使用下さい)
  • 共催:9条署名推進・堺共同センター
  • 「標的の村」公式サイト:ここをクリックしてご覧下さい。


 上掲のチラシイメージは、クリックすると拡大版が出ます。

(文責・多幡)

2014年3月14日金曜日

「朝ドラ 悠太郎なぜ逮捕:命より国家、市民縛る」:大阪大空襲69年で朝日紙


 NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)での悠太郎逮捕と戦時中の「防空法」、そして東京・大阪での空襲被害の関係についてのブログ記事を、本ブログでも紹介してきたところです(こちらこちら)が、大阪大空襲から69年目にあたる昨13日、朝日新聞も「朝ドラ 悠太郎なぜ逮捕:命より国家、市民縛る—防空法 街から退去禁止・消火義務—」と題する記事を掲載しました。

 記事は、最高裁へ控訴中の大阪空襲訴訟にもふれ、大前治弁護士の「国が戦時中に守ろうとしたのは、国民の命ではなく、都市と国土、国家体制だった」「防空法を通して見えてくるのは『本当に守るべきものは何か』という問題。特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認といった国家の危機管理を強める動きが進む現代で、いま一度問い直される必要がある」との指摘を紹介しています。記事全文はここをクリックしてご覧になれます。

 なお、朝日新聞13日付け夕刊のトップ記事「防空壕 命守ったか」も、大阪大空襲69年の関連記事で、「大阪国際平和センター」(愛称・ピースおおさか)のリニューアル問題や、戦時中の改正「防火法」に沿う形で1942年に変更された「防空壕構築指導要領」にふれています。ここをクリックしてご覧になれます(全文を読むにはログインが必要)。

(文責・多幡)

2014年3月12日水曜日

空襲被害は国の責任、きちんと戦争の後始末を:「大阪空襲訴訟」最高裁上告の要請書


 戦争と空襲による被害の責任を問う裁判「大阪空襲訴訟」は、2013年1月16日の大阪高裁控訴での「控訴棄却」判決を受け、最高裁判所での公正な審理を求める取り組みが続けられています。さる3月5日、寒い悪天候の中、上告人21名を代表して安野輝子さん(堺市西区)が大前治、西晃両弁護士とともに上京し、最高裁への要請を行ないました。その際に安野さんが読み上げた要請書のコピーをメールで貰いましたので、ここに紹介します。戦争の悲惨さと、この裁判で原告が勝訴する大切さについて、皆さんの理解の一助になれば幸いです。(多幡)

 この国の津々浦々の街が、火の海となった大空襲から今年は69年。空襲で被災して、かろうじて命を取り留めた私たちも、生きる日は、後わずかとなってしまいました。そんな人たちが起こした大阪空襲訴訟は、黒煙に消された50万の親兄弟や、友達、焼夷弾に燃えた手足、爆弾の破片で千切れた足の無念を背負って訴訟という行動に立ち上がって今日まできました。

 当時、私たちは子どもでした、戦時中の物不足のなかでも空襲に遭うまでは親の元で幸せに暮らしていました。空襲に遭い学校にも行けなくなり職にも就けず、戦争で人生を狂わされてしまいました。地を這うように生きてきて、どうしてもこの理不尽を国に問いたいと訴訟をいっしょに起こした仲間が、3人も無念のまま他界しました。その3人のことを、今日、この最高裁判所でご報告し、その思いをくみとってほしいと思います。

 まず、谷口佳津枝さんのことをお話しします。

 谷口佳津枝さんは、2012年の夏、無念を抱いたまま癌で亡くなりました。

 4月には、国民小学校1年生になるはずの、1945年3月13日の大阪大空襲で、お母さんと父親代りのお兄さんを焼夷弾で焼かれ、孤児になりました。

 あの日の夜、お母さんが「今日の空襲は大きいらしいので、お母ちゃんは家を守らないといけないので、あんたはお姉ちゃんと先に行ってなさい」と着物を着せてくれて、お姉ちゃんと出て行く[谷口さん]を、いつまでも見送ってくれました。谷口さんは、それがお母さんとの永遠の別れになるとも知らず、「今日のお母ちゃんは優しいなぁ」と思いながら、お姉ちゃんと手を取り合って火の中をくぐり逃げていきました。生玉神社の大楠の木がパチパチと燃えあがり、とても大きな火が上がるのを怖いなぁと思いながら見て走りました。

 焼け落ちた小学校が避難者の収容所になり、そこで何日も待ちましたが、お母さんは迎えにきません。たくさん居た避難者には、次々に家族が迎えに来ました。谷口さんはついに最後の避難者になってしまい、ようやく叔母さんが迎えきたのです。そして、たくさんの遺体が収容されている場所に行き、お母さんとお兄さんの焼死体が並んでいるのを見ました。そのときは足が震えて、かぶせてあった筵を覘くことは出来なかったと、話していました。お兄さんは顔や服装では見分けがつかず、鉄兜に書いてある名前で分かったそうです。

 その後、お母さんの田舎の親戚にお姉さんと別々に引き取られて育った谷口さんは、食糧難の時代、親戚も子どもがいて大変ななかを育ててもらいましたが、母がいないために辛い思いをした、戦争さえなかったらと、いつも涙を拭いていました。

 次に、小見山重吉さんのことをお話します。

 「わしの青春は15までやった」という小見山重吉さんは、1945年3月13日の夜10時ころ、お母さんに「空襲やで、起きや」と布団をはがされて、空襲警報が鳴るなかを、軒先に掘られた防空壕へ飛び込みました。飛び込むやいなや、焼夷弾の轟音と光と熱をあびて、顔と手足から全身に火傷を負いました。

 豪快でやんちゃな小見山さんが、「あんたは傷害が足でええな!わしは、朝起きて洗面台に立つといやでも顔を見てしまう」と嘆いていました。

 顔には赤く火傷の跡が残り、5本の指はくっついてしまいました。 その姿をみた人たちから「猿!」、「やけど!」などと呼ばれながらも、苦労して稼いだお金で、くっついた5本の指を切り離す手術を大阪大学病院で受けました。その後は、お父さんが経営していた工場を再び興したり、小見山さんよりひどい火傷で産婆さんが出来なくなったお母さんの戦後の生活を支えるなど、必死で生きてこられました。

 曲がって硬直した指を見た孫から、「おじいちゃん! どうしてジャンケンできないの?」と言われた小見山さんは、孫を同じ目に遭わせてはならないと思い、この裁判に立ち上がられたのです。小見山さんの墓前に、何としてもよい報告がしたいと思っています。

 次に、永井佳子さんのことをお話します。

 永井佳子さんは、女学校の教室で空襲警報を聞きました。校庭に並んで掘られた蒲鉾型の防空壕に避難しましたが、そこも猛烈な焼夷弾の火が襲ってきて、反対側の入口にいた級友は、大火傷を負って即死だったそうです。永井さんは、あと少しのところで助かりましたが、学校では救護もしてもらえず、家に帰ろうとして力なく街をさまよっていると、「あんた、えらい燃えてるで」と警官らしき人に言われて、町医者に連れて行かれました。

 着ていたセーラー服ともんペをハサミで切られていると、お母さんが駆けつけてきました。ベッドにいた佳子さんを一目見たお母さんは、あまりにもひどい火傷の姿をみて、「女の子だから、このまま死んだほうが良いかもしれない」と一瞬思ったということを後年、お母さんから聞いたそうです。

 永井さんは、学校で被災したのに学校も知らん顔、国も学校も責任を執らない。悔しい思いで60年生きてきたとき、大阪空襲訴訟を知り、一人ではないのだ、私と同じ悔しい辛い思いで生きている人がいるのだ、と駆けつけてこられたのです。

 69年間、国は空襲犠牲者の人権を無視し謝罪も補償もしないで、同じ戦争犠牲者の元軍人軍属には52兆円という援護をし、民間空襲犠牲者には0円と差別してきました。私たちはこの国に生まれたこの国の民なのです。この国が起こした戦争に巻き込まれて親兄弟を焼かれ、手足を奪われ、友だちは目のまえで虫けらのように焼き殺されたのです。家はゴミ芥のように燃えてしまいました。

 これが、経済大国にもなった先進国なのでしょうか。欧州は、民間人軍人を平等に補償しています。この国は、国際的にも恥ずかしく国内的にも不安を残します。何事もなかったかのように、やり過ごそうとしているのは卑怯です。空襲被害は国の責任です。きちんと戦争の後始末をしてください。ましてや、政府は国民に「空襲は怖くない、逃げずに火を消せ」、「都市から避難をするな」と命令していました。危険な消火活動を義務付けて、空襲の被害を拡大した責任は大きいと思います。

 最後に私の事を少し聞いてください。

 私が、米軍のB29機が投下した爆弾の破片に、足を奪われたのは幼稚園の年長児の時でした。同じ破片が、後頭部に当たった近所の人は、その夜も明けきらぬうちに亡くなりました。地鳴りのようなうめき声が、出血多量で死線をさまよい意識がうすれていく私の脳裏に耳にやきついて今も離れません。その人は、まだ20歳半ばの銀行員でした。生かされたのか生き残ったのか、私には朝がきたのです。生き残ったのも地獄でした。1945年7月16~17日のことです。

 爆弾の破片で、私の足はその場で千切れて、どのくらいの時が経ったのか、遊んでいた弟や従姉の泣き声で気がついた時は血の海の中でした。6歳になったばかりの私は、足が無くなったということがどういうことなのか、よく解りませんでした。幼稚園で蓮華草で首飾りを作ったり小さな虫などと遊んでいたからでしょうか、トカゲの尻尾が切れても、また生えてくるように、私の足も生えてくると思っていました。あれから69年経った今も、足は生えてきません。私の足と青春の日々を還してください。

 毎朝目が覚めると義足を付けないとトイレにもいけません。ベッドで義足を付けることから一日が始まります。私には、戦争が風化することなどありません。

 [このままでは、国は]あのおびただしい戦争の犠牲を払って出来た憲法も踏みにじ[ることにな]ります。黒煙に消された人たちの、私たちの、人生はなんだったのでしょうか。

 最高裁判所でもしっかりと審理をしていただき、私たちの思いを、人生を、正面から受け止めた判断をしていただくようお願いします。

 以上

 注:引用中、[ ]内は引用者による修正または補足の部分です。

2014年3月10日月曜日

首相、報道関係者と会食盛ん:「九条の会」メルマガ第183号


 「九条の会」メルマガ第183号(2014年3月10日付け)が発行されました。詳細はこちらでご覧になれます。運動に活用しましょう。

以下に、編集後記を引用して紹介します。

編集後記~首相、報道関係者と会食盛ん

  3月4日の北海道新聞の記事です。少し長いが紹介したい。安倍首相も必死です。私たちも腹をくくってかからなくては。

首相、報道関係者と会食盛ん 安全保障政策で懐柔? 公邸宿泊も増加

 安倍晋三首相が全国紙や在京民放キー局幹部といった報道関係者と夜に会食することが増えてきた。首相官邸隣の公邸に自民党議員を招いたり、宿泊したりすることも急増。集団的自衛権の行使容認など肝いりの政策実現に向け、世論や党内の理解を得る狙いがあるようだ。

 報道関係者との会合が増えたのは、国民の「知る権利」の侵害が懸念されるとして特定秘密保護法への世論の反対が高まり、国会審議が最終盤を迎えた昨年12月以降。それまでは月1、2回程度だったが、昨年12月は5回、今年に入ってからも5回を数える。(中略)

 政府関係者は「集団的自衛権の行使容認など首相が目指す安全保障政策は、世論を二分する問題。首相はマスコミを懐柔しようと必死なのだろう」とみる。(後略)

 (「九条の会」メルマガ読者登録は、ここをクリックして出るページで出来ます。)

2014年3月8日土曜日

「大阪国際平和センター」(ピースおおさか)が政府の歴史認識に合わせる改装


 表記の件について、大阪空襲訴訟弁護団の大前治弁護士が注意を喚起するメールの拡散を希望していますので、ここに紹介します。
 3月3日の東京新聞は、1面で、ピースおおさかの改装について事実報道を掲載し、25面で批判的な論調でコメントを紹介しています。特に、25面は「戦争の教訓学ばず」という見出しで、幅広いコメントを紹介しています。1面の記事は新聞社サイト上にありますが、25面の記事はネットでは見られませんので、ぜひ添付ファイルをご覧ください。転送歓迎です。大阪での取り組みにも、大きな励みになると思います。ご参考にしていただければ幸いです。
弁護士 大前 治
 上の文にある、3月3日付け東京新聞1面の記事「旧日本軍展示、政府見解に沿い改装へ:大阪の博物館、市教育委要請受け」は、ここをクリックしてご覧になれます。事実関係の報道ながら、「全国の平和博物館、資料館では展示内容を縛る同様の指針を設けたケースはなく、極めて異例」との指摘があり、各地の博物館から「政府の歴史認識に合わせるのは根本的におかしい。時の政権の方針に左右される恐れもある」との批判が上がっていることも紹介されています。

 同25面の記事「『戦争の教訓学ばず』:政府見解沿う展示 危惧」は、ピースおおさかの改装計画に、全国の平和博物館、資料館の関係者が「戦争の教訓を学んでおない」「存在意義に関わる」と危機感を募らせていることを記しています。また、東京大空襲・戦災資料センター館長の作家早乙女勝元さんが、「加害の事実を隠蔽する動きで危惧している」「歴史の真実を次の世代に手渡す作業ができるのか重大な岐路にある」「『設置理念の原点に戻れ』との声が市民の間で広がることを期待したい」などと述べていることも紹介しています。

 (新聞記事のコピーをブログに無断掲載することは、著作権上問題があるかと思い、大前さんの「添付ファイル」に替えて、記事の要点を紹介しました。)

多幡記

2014年3月7日金曜日

空襲被害者の援護立法を求める院内集会 (3/5) 報告:被災者高齢化で立法化の最後の機会


 先に本ブログでも予定を紹介しました3/5「空襲被害者援護制度の確立を」:参議院内集会について、全国空襲被害者連絡協議会(全国空襲連)共同代表の中山武敏さんがメールで報告している内容が安野輝子さんから転送されて来ました。ここにそれを紹介し、同制度確立への運動に対する皆さんのご理解とご支援をお願いします。
 昨日、私が共同代表をしている全国空襲連の主催で、空襲被害者の援護立法を求める院内集会を開催しました。自民党鳩山邦夫、民主党近藤昭一、社民党福島みずほ、共産党小池晃、結の党柿沢未途、無所属山本太郎・糸数慶子議員など国会議員と秘書約20名、日弁連安井副会長(立法対策センター委員長)、東京大空襲、名古屋空襲、大阪大空襲の被災者など約120名の方が参加されました。 原発運動にとりくんでいて都知事選では細川さんの選対で同氏を支援したという方も参加されていました。
 集会を報じた『東京新聞』(都内版)と『しんぶん赤旗』記事を添付します[引用者の注:添付コピーが不鮮明でしたので、ここでは後者の記事(オンライン版)へのリンクをしておきます。ここをクリックしてご覧下さい]。
 空襲被害者は高齢で、残された時間は余りありません。来年3月10日で東京大空襲から70年です。民間人空襲被害者の援護法案は73年から89年まで計14回、国会に提出されていますが、政府与党の反対でことごとく廃案となっています。これが立法化の最後の機会です。ご支援いただければ幸です。
中山 武敏
 なお、「空襲被害者等援護法(仮称)の制定を求める署名/沖縄民間戦争被害者に対する特別補償法(仮称)を求める署名」、「ふたたび被爆者をつくらない決意を世界に!現行法(原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律)の改正を求める請願署名」の署名用式 PDF 版が、全国空襲被害者連絡協議会のホームページ(ここをクリック)にあります。
(文責・多幡)

2014年3月3日月曜日

3/14 集会「大阪空襲被害者の証言、そして空襲からの避難を禁じた『防空法制』について」:大阪・ドーンセンターで


 第1次大阪大空襲のあった日、3月14日に、表記の集会が下記の通り開催されます。
  • 日時:3月14日(金)午後6時開場、6時半開演
  • 場所:大阪市中央区ドーンセンター・大会議室 (京阪・地下鉄谷町線 天満橋駅下車)
  • 資料代:500円
  • 主催:ピースおおさかの危機を考える連絡会、協賛:大阪空襲訴訟支える会

 NHK朝の連続ドラマ『ごちそうさん』で空襲下の市民の生活が描かれ、「空襲から逃げよう」と呼びかけた主人公の夫が逮捕されるシーンもありました。この集会では、空襲の実相を体験者から聞き、さらに朝ドラ『ごちそうさん』での夫逮捕の理由であり、空襲被害の大きな要因である「防空法制」の解説も行われます。

 上掲のチラシイメージは、クリックすると拡大版をご覧になれます。

(文責・多幡)